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可視化

・最近頭が悪くなってきている気がしたので読書を始めた。1冊目としてブックオフで何となく買いをした「絵のない絵本」を読んでいる。少女が毎晩お月様の世界紀行を聞くというショート集的な形式の小説だ。月の語る話は閉塞的な世界観で物悲しさがあり、それでいてメルヘンかつロマンチックなので自分の好みのど真ん中だ。ハチとかGood Dog Happy Menの雰囲気にとても似ている(手っ取り早く言えば宮沢賢治っぽい)。もう少しで読み終わるので、次は「車輪の下」を読む。当初読む予定でいた「ライ麦畑でつかまえて」と「草の花」も早く手に入れたい。

・アンビエントっぽいものやヒーリングミュージックを聴く頻度が増えている。格好良いものに対するアンテナがやや微弱でになっており、代わりに美しいものや安心するものに強く惹かれる。読書に相性が良く好都合だ。こういう音楽にハマっている内に作曲に活かせるものを何かモノにしたい。

・Twitterのタイムラインに精神を害されていることに自覚が芽生えた。言ったもの勝ちな節がある下品なユーモア(性に関するもの)と、個人或いは無自覚な仮想敵を対象とする陰口のような僻みに明確な嫌悪感が生まれてしまい、初めて特定の単語を非表示にする機能を使ってみた。荒れたタイムラインはやや落ち着いたが、これで解決なのだろうか?人間関係と同じで、嫌なものとは直ぐに手を切るという発想が個人的には釈然としない。何にも動じない精神力、或いは外からの衝撃を上手く受け流せるような器用さを手に入れるべきではなかろうか。どうすればいいかよく分からない。人を嫌いになるのが怖いだけか…。

・上記にも関連するが、否定のエネルギーに対する恐怖心や懐疑心がやや強まっている。短絡的な物言いになってしまうが、何かに対して「嫌」や「否」を唱えるとそれだけで正当性があるように見えてしまう。実際正当性がある例も沢山あるが、「そう見えてしまうだけ」のケースがとても恐ろしい。正当性があるというだけでなく、否定を掲げる状態が正常であり、肯定=盲目・意志薄弱・異常みたいに見えてしまうようなケースがあるような気がしている。身を守るために首を横に振ることは間違いなく必要だけれど。あとは、特に芸術において否定・反発・負=高尚、多数派=低俗のような公式が見え隠れする場面を最近見掛ける事が多い。これらが不変の事実なのであればとても悲しい(この文言にも正当性が付随するのだろうか)。鬱ロックを掲げる自分が正常だとも高潔だとも思いたくはない。BURGER NUDSのファーストミニアルバムのタイトルである「LOW NAME」には、自分達の音楽に対する自己卑下のニュアンスがあるという話を読んだことがあるが、行き過ぎない程度にその姿勢を見習いたい。

・こんな感じで最近は思考がシリアスに傾きがちだ。夏休みの楽しいイベントが多いから心が釣り合いを取っているだけだと思っている(願望込み)。実際楽しい事があった次の日は急カーブの暴論で悲観的な思考が脳内で展開されて勝手に寂しくなってベッドから出られなくなることが多い。こういう傾向や気質に名前はあるのだろうか。

・バードランドにライブを見に行った。目当てだったマレケーもアイシュワリヤも本当に格好良かった。コードの力を信じて鳴らしているバンドが好きだ。
ラジェスタも好きだった。BURGER NUDSのミナソコのような起伏に富んだ、パワーコードが魅力的なミドルテンポの曲が印象的だった。ああいう曲を1度作ってみたい。作る。トレブリーなギターは日に日にあまり好きではなくなっている。老化かもしれない。色々な人と比較的沢山話せた。挨拶をしたい憧れの方にも背後から肩をトントンして(あまり礼儀が良くない)自ら話しかける事が出来た。少しずつ自分の居場所を確保できるようになっているのかもしれない。良いね。

・ジャンソナのドラムの打ち込みがようやく軌道に乗ってきた。今月中にできる分の打ち込みは終えて、10月にひとまず手売りはできるように着々と段階を踏んで行きたい。今回は突貫工事の完全自主制作EPなので、発売にありつけたらひっそりと超小規模なレコ発(貸しスタジオでの短時間のワンマンライブ&配信とか?)なんかをやりたいなーとぼんやり思っている。肩肘をついてぼんやり思っている時が1番楽しいというのはトラップだ。手を動かすこと。

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