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正しい孤独

音楽において「刺さる人にだけ刺さればいい」という文言を頻繁に目や耳にする。自分もとても大事にしているし、普遍的な音楽を作る上でも寧ろ必須となる意識だと思っている。
しかし、この意識を手放しに崇高なものだと思ってしまう自分がいて、そうではないだろうと思い直すことが頻繁にある。
「刺さる人にだけ刺さればいい」と、「刺さらない人には刺さらなくていい」は同義だろうか?パッと見で刺さらなそうな人には刺しに行こうとすらしない(逆に言えば刺さりそうな人にだけ刺そうとする)創作者の姿勢は真っ当と言えるのだろうか?
シンパシーを感じない人が聴くこと、それによって承認を得ることをノイズとして排除するような音楽作りや、「誰がいるから、居ないから」でライブの出演の可否やステージでの振る舞いを変えるような真似は正直自分はしたくない。来るものを拒みたくはないし、己の調子や具合を周囲の環境に左右されたくない。ニッチで根暗な音楽をやっているから尚更。
不特定多数の人間の前に自分の身を差し出す。自分の身が削られることを、独りになることを承認する孤独。その果てに存続し得る存在でありたい。
1万人の観客がいようが、部室でのバンド練習だろうが、バンドメンバー以外がこの世界から居なくなろうが、同じ姿勢で、同じ挙動で、同じ音を鳴らしたい。独りと極最小単位の存在から生まれた、自分の信じる音楽の為にも。


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