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Blue

夏休みが終わっても楽しいイベントは続く。だが寒くて陽が短いのはどうも苦手だ。ウィンターブルーには罹りやすい方だが、既にその兆しが現れている。具体的に言うと、夏休みの間から少しずつ頭に浮かんでいたシリアスな考え事の種が、悲観的な方向へ芽を伸ばしつつある。なるべく身軽でありたいので、内に留めないようここに記すことにする。

・物欲に駆られ本やCDを買い漁っている。近いうちに自室の改装や服の断捨離と購入にも取り掛かる予定だ。最近の傾向のお陰で読書や音は習慣化され、日々沢山の美しいものに出会っている。しかし、少し疲れてしまった。維持される物欲、お金との付き合い、感受性の酷使に。もう少しゆっくりと過ごしたい。お店を求めて歩くのではなく、目的もなくゆっくりと散歩がしたい。物の消費ではなく、誰かと一緒にいることで満たされていたい。

・トキメキが足りていない。中原中也の詩は清々しい。Radioheadやピンク・フロイドは美しい。しかし、もっと稲妻に打たれるような、短絡的な刺激が欲しい。なるぎれのメロディラインやART-SCHOOLのイントロのような、脊髄で好きになれる、熱量のあるもの。ジャンソナは分かりやすく格好良いものでありたいと最近は強く思う。

・大人になる上での過程を飛ばし飛ばしにしている気がしてならない。洋服屋を上手く歩けない、恋愛のことはよく分からない(良いものなんだろうなとは思うが、友情に対して相容れない状態になっている場面を見掛けると少し悲しくなる)、寂しくても人に会いに行けない、等。漠然とした不安がある。

・何かに悩んだり苦しんだりしている身近な人に、自分は何ができるだろうかという事をよく考える。どんな言葉を贈れるのか。どれだけシリアスであるべきなのか。何が安心に繋がるのかはまだ分からないが、働きかける側の人間が露骨に何か不安を抱えているのは良くないんだろうなとは思う。他人の痛みは自分の痛み越しにしか(一度自分に置き換えなければ)知覚できないが、その上で自分の痛みを一度棚に上げてみなければ、他人の痛みの本当の姿はきっと見えない。

・さまざまな精神的な苦しみの根底には、「誰かにとっての特別でありたい」という願望があるのではないだろうか。この願望を完全に投げ捨てれば、果たして夜の空気のように身軽になれるのだろうか。身軽になったとしても、それはほぼ死んでいるようなものなのではないだろうか。恥を捨てて言えば、自分は誰かにとっての特別でありたい。その実感を燃料にして生きていくことが出来れば、それ以上確実な事は無い。しかし、それを願うよりもやるべき事があると信じている。自分が自分の友人のことを極自然に特別に思っているように。

・永遠は存在する。自分が魂を燃やした時間は、永遠に消える事は無い。その時間の間一緒に居た人は、永遠に離れていくことは無い。いつか灰になる時が来るまで、いつまでも消えないものを頼りに生きていけると信じている。自分の大学生活は、アステロイズに居られる時間はこのまま行けばあと2年しか持たない。卒業後の事を考えると果てしない気分になる。この2年を永遠に変えるしかない。きっと大丈夫だ。


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