新たな環境に向き合うということ
私が生まれて初めて劇場で鑑賞した映画は「ドラえもん のび太の恐竜」でした。
この作品には原作者の藤子不二雄が当時における恐竜の最新の知見を十分に持ち込み、非常に優れた内容でしたが、後になりのび太が心を通わせるフタバスズキリュウは恐竜でないと判明しました。
恐竜の研究は日進月歩であり、コンピューターグラフィックスで描いたリアルな恐竜の姿が話題を呼んだ映画「ジュラシックパーク」についても、今ではかなりの部分に誤りがあると指摘されています。
そういったさらなる研究の進展を受けて制作されたのが、2020年公開の「ドラえもん のび太の新恐竜」でした。
本作で新たに導入された視点は「恐竜が絶滅していない」というものです。
恐竜は六千五百万年前に隕石の墜落によって滅びたとされています。
しかし、最新の研究では一部に生き残りがいたと判明しました。
ネッシーやゴジラではありません。
もうすぐクリスマスですが、パーティーで恐竜の子孫を食べるのではないでしょうか。
そう、恐竜の子孫とは鳥です。
といっても、すべての恐竜ではありません。
恐竜は骨盤の形によって鳥盤類と竜盤類に分けられます。
ならば鳥盤類が鳥の祖先かといえばそうではなく、実は竜盤類の方で、こちらはティラノサウルスに代表される肉食恐竜が含まれます。
さらに竜盤類のうち、獣脚類に分類される恐竜の一種から鳥に進化していったというのが、現在では定説になりました。
近年の研究で獣脚類の多くは羽毛を持っていたことがわかっており、原鳥類と命名されたグループから羽毛を複雑に進化させて、飛行能力を獲得したものが現れたというわけです。
恐竜の英語名はギリシャ語の「恐ろしい」と「トカゲ」を合成したものであるように、従来は巨大な爬虫類であると考えられていました。
しかし化石の発掘や研究が進むにつれ、どうしてもトカゲやワニなどとは同じ生態であるとは考えられなくなり、近年では新たに恐竜類という分類が設けられていました。
その子孫が鳥であるとするなら、例えば巣で卵を温めて孵していたなどの習性は非常によく似ており、その生態に納得できる部分があります。
進化とはチャールズ・ダーウィンの定義によると、自然淘汰が働いた結果としてもたらされます。
つまり変異が環境に適応したことで生存が可能になることそのものを進化と呼ぶのであり、進歩とは違います。
鳥にしても羽毛を有する小型の肉食恐竜が飛行可能な方向へ進化するための能力を獲得したと考えなければなりません。
環境は常に変化するものであり、六千五百万年前の隕石落下のようにそれは唐突に起こることも少なくありません。
現代で言えば、コロナ禍もそれに当たると言え、そこで生き残っていこうとするなら進化する必要があります。
いくら優れた能力であっても環境の適応に役立たせることができなければ全く意味はなく、例えばサーベルタイガーはその見事な牙を巨大化させすぎた故に滅びたとも言われています。
進化のヒントは自らのうちにあり、鳥の飛行能力も元を質せば恐竜の羽毛に行き着き、それ自体もそもそも鱗から進化したと考えられています。
新たな能力を獲得しようとするのなら、まずは己を見つめ直すことが始めなければならず、それは知恵を有する人間だからこそ出来ることです。
一寸先は闇と言いますが、刻々と変化する状況の変化に対応していくためには自らも変わっていく必要があり、それを受け入れることこそ令和の時代を生きていく新たな知恵と言えるかもしれません。