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ヒーローも普通の人になる時がある

23日、秋分の日。世間では土曜だから普段と大差なく過ごす人がいるかと思えば、街への影響はそうでもなくシルバーウィークと称した連休に、地元民の客足が遠のく感は否めない。まぁぼちぼちやっている。

「行けたら行く」とか「今夜、街に出ているから覗くかも」という連絡はよくある。ごく稀に「今から行きます」と言って結局来ない人もいるが、それこそが水に流れる商売だと言われる所以だと受け入れるのも、待つ仕事を選んだ責任の範疇だ。特に僕の場合は食材を抱えていないし、何より従業員がいない。そういう飲食店の何十倍も、おそらく楽である。間違いない。


8月上旬、店の扉をノックする音がした。突然覗いてくれた追加召集(この時点では落選直後であった辛い時期)の銀髪男とニンジャキックの男が、結構本音で話してくれたので、無論僕も思うところの話をした。契約更改できなかった選手や、レギュラーに外れた選手にいつも言う話だ。

「ずっと三振していても、次打席でホームランを打てばヒーローになれる君たちが羨ましい。ただ、いい時に人は集まるもので、悪くなったら蜘蛛の子散らすように去ってゆく、極端に厳しい世界でもあるね。君がアカン時に選んでくれた、この日を僕は絶対に忘れない。評論評価は専門家がすること、僕はここからも声援を止めない。それが僕らのできることだから。」

テレビに出たら一気に親戚が増えるとか、有名だからとりあえずサインを写真をとせがんでみたり、勝ったり点を取ったりしたら手のひらを返す人がいるように、日常の大半が、愛と憎しみの相反かの如くのパラドックスである。SNSで見る「あの人達はいつも同じ写真にいたのに最近疎遠らしい」とか「友達だと思っていたのに裏切られた」とかもその類であろう。そんな姿を多く見てきたから、僕の態度と伝えることは限られている。

月並みだ。とてもありふれた言葉を想う。

ヒーローは、相反してどこか物悲しい運命を背負ってる。戦力外と言われるまで、身体を死なせない。腐らず、必要とされるチャンスのある限り全力を尽くす。その時に備え鍛え、磨き続ける。その姿を見てくれる人がいる。

彼らと話しながら思った。

街の酒場も似ているなって。

人の往来が多くても少なくても、店と自分を磨き立ち続ける。そして誰かがまたここに来たらその人それぞれに接し、お客は心の何かを吐露したり置きにきて、出てゆく時には少し軽くなったその背中を見送るだけである。

僕はヒーローじゃないけれど、そのくらいの席は用意できる。

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