吉野拾遺 下 19 作リ山伏ノ事
【作リ山伏ノ事】
梶井二品親王とらはれさせ給ひて、この山のあさましげなる、しばの庵にすませ給ひけるを、山本の三郎といひけるもの、うけ給りて、きびしくまもりにけり。二とせばかりありて、御邪気のここちの日にそひて、おもらせ給へるといひののしりて「嶺を通る山伏もがな。おこなひさせてん」といひあへれば、守りける武士ども打ちりて尋ねけるに、その明の日、尊げなる山伏を三人具して参りければ、よろこばせ給ひて、御枕上にめして行ひしけるに、二日ばかりありて、御心のさわやぎけりと、御布施など給はり、守りける武士共、御歓のみき給はせければ、夜ふくるまでうたひなどしてあそびをりけり。山伏は暁に出で立なむとて、御暇を申して、まだくらきにかへりけり。ひるのほどにや「宮のたおはしまさぬ」とさわぎて関々へ人を走らし、山伏をとどめけれども、それよりさきに通らせ給ひて、その夜興幅寺までつかせ給ひけりとかや。これは御門徒の律師元祐といひけるもの、かねてはかりて、おのれ山伏となりて笈をおほきに宮のかくれさせ給へる程に物しけると、後にぞ聞えし。それより皇居をいよくかたく守りければ、さまざまはかりけれども、せんかたなかりしとかや。