吉野拾遺 下 04 康方下女ノ事

【康方下女ノ事】
 此の康方の父大夫尉康藤がもとに下仕しける女ありけり。おなじく侍らひける藤六といひける雑色と、心をかよはし侍りけり。彼の女いたくいたはりけることの侍りしかば、藤六が居ける山陰の屋にこさせて有りけるに、京にありける女の母の、夕ぐれの程に、「かかることなりとききて、いと心もとなくおもひて、とりあへずきにけり」といふに、女もいとうれしげに昔の物がたりなどしけり。此の母いとかひがひしくあつかふを、男いとうれしきことにおもひて、このほどのつかれに心おこたりてねぶりゐけるに、此の女の声してさけぶに、うちおどろかれて、「なにゆえにか」といへど、又女はいらへもせずふしけるに、夢にやありつらんとおもひて、ともし火のかげより見るに、母は枕がみに居てなき居けるを、こころ得ず思ひつつ又しばしねぶりけるほどに、此のたびはいたくさけびて、屋のうへのかたに聞えけるに、そのままおきいでけれども、ともし火も消え失せにければ、走り出でて聞くに、屋の上より山のかたにさけびてゆく。あわててよばはるほどに、康藤も「なに事にか」とておはす。外の人もききつけてあまた入りきて、松どもともして尋ぬるに、うしろの山に、声につきて行けば、下なる谷に声すなり。谷にゆけば、かしこにきこえ、かしこにゆけば、ここに聞こえ、手をわけてさけぶ声をしるべにおひゆけば、夜の明け行くにしたがひて、声もかすかになりて、ほのぼのと明けにければ、おひとどまりにけり。わかちおひける人々の、青根が峯のかたへ行きしものもあり。宮の滝、六田の淀、朝の原などまで、声につきて行きしこそ心得られね。ありつるねやにかへりて見れば、女は其のままふしてあり。母は見えずなりにけり。そののち便につけて母のことを聞き侍るに、その日のくれのほどに、京にてみまかりにけりとかや。なほこころえられぬことにこそ侍れ。

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