吉野拾遺 上 09 高師直弁内侍ヲ奪ヒ取ル事

【高師直弁内侍ヲ奪ヒ取ル事】

 弁の内侍、御かたちいとめでたくさぶらひしを、むさしの守高階の師直、いかなりけん折にか見そめけむ、こころにかけておもひけるに、みかどかくれさせ給ひて後、ひそかに御ふみ奉りて、「しのび出でさせたまへ。御迎を参らせてん」と度々いひこしけれど、御返しもしたまはざりければ、ねたくおもひて、行氏卿へかよひける女のありけるをもとめいでて、北のかたに「かかる事なむ侍る。ともにはからはせ給ひて、本意とげなんには、しらさせ給はむ所をもあまたつけ侍りなむ。三位どのの官位をもすすめて」などいひおこすれば、さらぬだに世の中の人のおそれぬはなきに、いとたのもしくきこえければ、御ふみをととのへ給ひて、内侍の君にもとつかうまつりし梅が枝といひし女をそへて、「ともにはからはせ給へかし」ときこえけるに、いとよろこびて、命をかけて契りける。侍二十人がほどえらびて、梅が枝にそへてよし野へつかはしけり。内侍の君に、「梅が枝が北の方の御ふみもちてこそ」といひ入れけるに、「御恋しうおもひて過しつるに。こなたへ」とめされて、御文奉るに、「はるかにこそわたらせ給へ。山ざとの御住居さこそとおもひやらるるごとに、袖をこそしぼりあへ給はね。御恋しさのいとせめて、住吉へまうで侍りし程に、道のたよりもしかるべければ、あひ奉らんことをおもひて、河内の国とかや、高安のほとりにしりたる人のさぶらふに参りてこそ待ち奉れ。はかなき世の中のましてみだれがはしければ、此のたびならでは、いかで逢見ん」などかきて、

 あひみんとおもふこころをさきだてて 袖にしられぬ道しばの露

御使も御文のこころにかきくどきければ、「まことの御母君にすてられ参らせしよりは、それにもまさりて、おもひたまひし御情のわすられで、朝夕こひしうこそおもひたてまつりつれ」とて、君に御暇を奏したまひて、とりあへず出でさせ給へり。女房二人、青侍三人、御供には仕うまつりけるに、道に人出であひて、「高安にまたせ給ひけれども、『人多くてむつかしければ、住吉までまかるにこそ。もし御出も候はば、あれまでぐし奉れ』と仰せおかれて候へば」とて、人あまた出でて、とりこめ奉る。「いとこころえぬことにこそ。すみよしまではるばるといかでゆきなむ。御こしをかへせ」とのたまはすれば、青侍ども御こしをかへしなむとしければ、「ただ住吉までいそぎ給へ」とひきたつるに、「いかにもかなふまじけれ」と引きとどむるを、「さないはせそ」とて三人ともうちころしてけり。君はいとおそろしく、鬼にとられ給へる心ちし給ひて、ただなきになかせ給へり。物のあはれもわきまへぬもののふども情けなう、「こよひ住吉まではいそぎなん。殿もそれまでいでむかひおはせむ」などいひののしりて、石川といふ所までゐてゆきけり。帯刀正行がよし野殿へめさせて参るにゆきあうて、そのほど過しなんと、かたはらなる木陰に立ちしのぶを心もとなくおもひて、立ちよりて、事のさまをとりけるに、「つぼねがたの住よしに詣でさせ給ひける」といふに、「さては」とて、過ぎなんとするに、内侍のなき給ふ声をききて、おして御こしのほとりに立ちよりてとへば、「かうかうのことになむ」とのたまはするに、いかさまあやしければ、奏しなんほどに皆めしとれとて、のこらずからめにけり。恥をおもへるもの三人四人ありて、抜きあはせたたかひけれども、つひにうちころしぬ。吉野へ参りて、事のよしを奏し奉れば、梅が枝をすかしてとはせ給へば、はかりつる事を申しけるに、侍どもはみなきられて、梅が枝は尼になし給ひて、かかるあり様を北のかたへよくよく申せよとて、帰されにけり。「正行なかりせば、いと口をしからましを、よくこそはからひつれ」とて、内侍を正行に給はんこと、みことのりありければ、かしこまって

 とても世にながらふべくもあらぬ身の かりの契をいかでむすばん

と奏して辞しにけり。其の時はこころえがたくおぼえしが、後におもひあはされて、いとどをしみあひにけり。

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