吉野拾遺 下 21 大神宮託宣ノ事

【大神宮託宣ノ事】
 過ぎつる年の春の末つかた天照大神にまうでて、三七日がほど、法施奉りて、かへさに中納言顕能卿の御もとへ立ちよりて、一夜がほど、むかし今の御物がたりしけるに、「世の中のかくみだれぬること、人の国にはためしおほかりぬべけれども、わが国には是ぞはじめならん。いつかはしづまるべきかかる折ふしに生れきぬらん宿世のつたなくて」など、わびはべるに、「誠にさこそおはすなれ。されども御敵はほろびて、誠に還幸ならんとこそおもひ奉れ。今上のいまだ陸奥の太守にて、あづまへおもむかせ給はんとし給ひける時、儲の君にたたせ給はむむねを、ひそかに申しきかせたまへり。建武つちのえのうしの年、七月の末つかた、伊勢の国へ越えさせ給ひて、大神に御いとまを申しにまうでさせ給ひければ、とどまらせ給ふべき、御つげのわたらせ給ひけれども、かくいでたたせ給ひぬるうへはとて、あまたの御舟よそひして、九月のはじめつかた、上総の地ちかく、御舟のつき待りしに、いささか空のけしきのかはりてみゆるままに、波風あらく侍りしかば、あまたの舟とも、伊豆の御崎にただよひ侍りしに、風のつよく吹きもてきて、船 どものちりぢりになり、おなじところにありし船の、ひたちのかたまで、ふかれゆきしもあるに、宮の御船は、その日のくれほどに、伊勢の海までふきもどして、それより吉野にいらせ給ひしに、程なく三くさの御たからをつたへ給ひて、天つ日嗣をうけさせ給へば、何事も大神の御はからひにこそいますかりけれ。われも宮の御舟にさぶらひて、まの あたりのことに候へば、たのもしくおもひて過し侍る」とかたり給ひしに、こたびまうで侍りしを、神もうけさせ給ふ御神託にこそあれと、おもひつけて、いとたのもしくかへり来にけるにこそ。
 正平つちのえのいぬのとしの春、草のいほりの夜の雨に、よしのの花の露をしためて、よしなしごとを書きつらね侍るこそ、ものぐるほしけれ。
 隠士松翁

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