海外ブランディング(2) − マインドリフォーム
一応、ブランド事業本部に在籍して、海外向けアクオスのサイトを作ったり、テレビCMとの連動プロモーションに関係したりと、海外社員に日本式販売法を伝授する講習会の窓口をしたりと、様々な業務はやったのですが、ブランドの本質である「メーカーの自己定義」も「お客様との約束」できていないのですから、業務はやっていたけれど、仕事はやっていなかったというのが正直なところだと思います。
しかし、業務でいうと本当に様々なことをすることができました。いい経験をさせてもらったと会社には感謝しています。
ただ、あまり海外のブランディングの話とかけ離れてしまうのも何なので、一つだけその前に話をさせていただきます。以前、海外のアクオスのテレビCMとウェブの連動プロモーションをやったことがあります。1億円を超える決裁書を社内で書いたのはこれが最初で最期でした。私自身はウェブ担当で、海外のクリエーターの会社、日本の広告代理店が絡んで行なったプロジェクトです。
当時、続きはウェブでという言葉が流行った時代で、コマーシャルで流れる動画が実は物語になっていて、その謎解きがウェブで行われるというもので、当時としては斬新なもので、米国のメディアとかでも一部紹介されました。
あとで考えると興味を引くという点では成功したのかもしれませんが、本質的に成功だったかと言われると、今から考えるとノーだと思います。広告宣伝は経費か投資かというと、投資でなければなりません。経費は一時的に消える金、投資は蓄積されて意味をなす金、という理解でいうと、広告は蓄積されないと意味がないと思います。
その宣伝プロモーションは、斬新で注目を浴びて、シャープを認知させたという点では成功ですが、シャープがどんな会社かというメッセージを伝えることはできていません。販促にはなっても、ブランディングにはなっていないのです。ブランディングとは投資でないといけません。
ビジネスの基本(16):ブランディングの勝者がビジネスの勝者
私の例はここまでにして、少し違う話をします。戦国時代のブランディングという話です。当時の戦国大名は実はブランディングにこだわっていました。
例えば織田信長、織田信長は美意識が高かったのもありますが、ブランディングの力も優れていたと思います。戦国時代は誰の味方をすると生き残れるかを真剣に考えていた時代です。ですから、味方にも、部下にも、上手く自分をアピールしてついて来させないと成功できません。
信長は、斬新さやスケールの大きさを上手く演出しました。西洋の進んだ技術を取り入れたり、楽市楽座で経済を発展させたり、旧勢力にとっては一番嫌な存在だったと思います。またそれまでの戦国時代の城は守るための城でしたが、安土桃山城は権威を見せつけるための城として作られた初めての城でした。ですから城内の道もまっすぐで、敵が攻めることを全く想定していません。
織田信長が斬新さ、スケールの大きさをアピールしたとすると、後継者の豊臣秀吉は、何をベースにブランディングしたのでしょうか。一つは金持ち、実際唸る程お金があったのは事実ですが、それを中心にアピールしています。そしてもう一つは女好き。これは女性が好きというより、女性を差し出せば敵でも許す、と厳しい信長とは違う面を出した点です。
そして徳川家康。徳川家康は、先の二人に対してかなり地味です。しかし、多くの戦国大名を味方につけるためには、何かブランディングが必要です。そしてそこで考え付いたのが、「東海一の弓取り」、つまり戦争にかけては自分が一番というブランディングです。
誰が、真田幸村を日本一の武士(つわもの)にしたか知っていますか?実は徳川家康なのです。徳川家康が江戸城の中で、真田幸村を称えたのでそれが日本中に広がって、それから真田十勇士のような物語も作られるようになりました。大坂冬の陣のあと、徳川家康が幸村を称えたので遺品を他の戦国大名が先を争って手に入れたそうです。
徳川家康の器が大きかったと思っている人も多いと思いますが、「東海一の弓取りが、地方の田舎侍に負けかけたとあっては家康のブランディングが崩れる」というのが本音ではなかったかと私は考えています。武田信玄の伝説も同じです。最強の武田騎馬軍団の伝説は、家康が作ったのではないかと思います。
広大な中国ならいざ知らず、狭い日本のしかも山国の甲斐に騎馬軍団の活躍する場所はありません。それに当時、日本人の体型が小さかったとはいえ、当時の重い鎧をつけて走ることができる大型の馬などは日本にいませんでした。サラブレッドなどのアラブ種の馬が日本に輸入されるのは、江戸時代、徳川吉宗の時代を待たねばなりません。
徳川家康は自分のブランドを守るために自分が負けかけた相手を徹底的に凄いものとして扱っていることが分かります。「私は確かに負けかけたけれど、それは相手が強すぎたからだ」ということを徹底しているのだと思います。
戦国時代、自分の力で勝ち残った戦国大名をみると見事なブランディング戦略を行なっています。ブランディングがビジネスの勝敗を左右すると言っても過言でないことをご理解いただけると思います。ちなみにパーソナルブランディングは、基本的に自己定義であると説明しましたが、自分で自分を定義した経験がある人も少なければ、現実に有効なノウハウもありません。
そこで、私は試験的に魂の声とハイヤーセルフやスピリチュアルガイド(指導霊とか呼ばれる)の情報を聞きながら、自己定義をやろうと始めたのが「マインドリフォーム」というグループセッションです。スピリチュアルに詳しい方であれば、魂がこの世に来る時に予め人生の設計図を持っていて、基本的にそれに沿って人生を生きるという話を聞かれたことがあると思います。これが、魂の設計図=ブループリントです。
魂の設計図をもとに自己定義をすれば完璧な自己設定ができると思って、試験的にやってみたのですが、全然違う結論になってしまいました。そもそも魂の設計図は完璧でも何でもなかったのです。
魂の望みと、ガイド、ハイヤーセルフの望みも違っている人が多かったです。勝手にそれが一致していると私は思い込んでいました。しかし、実際に情報を取ってみたら、そうではありませんでした。
例えば、魂の望みとしては「人を救いたい」という方がおられました。その方のガイドに聞くと「自分の信念を貫かせたい」という回答が返って来ました。両方とも成り立っているようですが、ガイドに「では自分の信念と違う人を救う時はどうなるか」と聞いたら回答が止まってしましました。想定外だったようです。その人に聞くと相手の価値観が自分と違う時にトラブルが起こるとのことでした。
このように魂の望みとガイドとかハイヤーセルフの望みは必ずしも一致しないのです。これは映画で例えると分かりやすいかも知れません。魂は映画の観客、映画を作る製作会社は、ガイドとかハイヤーセルフです。そして、観客である魂は実際に映画を見るまでどういう映画か分かりません。
そこで、マインドリフォームでは魂の声とガイドの声を聞きながら映画のタイトルを作ります。タイトルを作れば魂の希望とガイドの声があまりかけ離れることがなくなります。そして、それが自己定義につながるのです。
私はブランディングにおいて自分の肩書きをつけることをお勧めしていますが、マインドリフォームでその人の人生のタイトルを決め、そこから自分の肩書きを決める、そういう流れの方が良いと思います。
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