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2-1 え?文系じゃないの?中高生時代

 中学一年生、13歳で、それまで楽しそうに遊んでいた「見えない世界」に突然蓋をしてしまった。幽霊が怖くて、夜自分の部屋で勉強できなかったし、「魔法使いになりたい」なんて言ったら周りに笑われるし、この現代日本で人並みに生きていきたいならば、通らなくてはならない通過点だっただろう。私は「絵で見るとかわいい妖精も、本当にこんな小さい人間に羽が生えて目の前に現れたら怖くない?妖精なんて、本当はいないんだよ」とか、「例えば2階の部屋の窓の外に知らない人影が見えたら怖いけど、それが生きた人間だったら、余計に質が悪くて怖くない?幽霊だったら消えるけどさ。生きた人間のほうが怖いんだ。幽霊なんて、怖くない」とか、こじつけ感溢れる言い訳を自分に言い聞かせ、「見えない存在」たちのことを必死で頭から追い出そうとした(でも、幽霊より生きてる人間のほうが質悪いは今でも思う)。

 おかげで(自分基準の)人並みな普通の生活を送れるようになったものの、私は心のどこかにぽっかりと大きな穴が開いたような状態になってしまった。まあ、もっとも、中高の友人には、よく「宇宙人みたいだね」とか言われていたので、自分では「普通の人間」を装っていたつもりでも、やっぱり「普通」ではなかったかもしれないが。


 私はその穴を埋めるかのように、ますます生き物にのめり込んでいった。いや、生き物だけでなく、「この世はどうして存在しているのか」という哲学的疑問に、科学的視点から迫ることに夢中になっていった。小難しく書いたが、要するに、理科が最高に楽しかった。ただそれだけ。

そのため、私は自分で自分が「理系」だと思うようになってきた。高校生物なんて、エキサイティングな時間だった。幼い頃に「お母さん、人間は人間になる前はなんだったの?」「お猿さんだったんだよ」「じゃあ、お猿さんになる前はなんだったの?」「…恐竜だったんだよ(←かなり答えに困っていたと思われる)」「じゃあ、恐竜になる前はなんだったの?」「…もっと小さな生き物だったんだよ(微生物のことか?)」「じゃあ、そのもっと小さな生き物になる前はなんだったの?」という質問をぶちかまし、母親を困らせた記憶のあった私は、「生物の始まりはコアセルベートという泡だった(私が高校生当時の説)」という話を授業で習い、叫びたいほど感動した(ちなみに、母親が「小さな生き物になる前はなんだったの?」という質問に対して、答えてくれた記憶はない。そりゃ、わからんわな)。

 高校生物が楽しすぎて、教科書や図表をほぼ暗記していた変態だったが、実は数学が苦手だった。全然理系じゃない。中学数学までは良かったが、高校数学でつまづいた。高校二年生までは、何とか暗記力でカバーしてきたが、三年生で偽装の「理系仮面」は引っぺがされ、完全に追いつけなくなった。私は元々、物事を理論的に捉えるのが得意ではなかったのだ。とても感覚的な人間だった。でも、感覚だけに頼っていると、どうしても「見えない世界」の存在たちが気になってしまうため、私はそれに蓋をして、必死に世の中を理屈で考えようとしていた。


 それでも、「科学的理論だけでなく、感覚でこの世を捉えたい」という気持ちは隠しきれず、私は「哲学」にもはまった。幼い頃から小難しいことを考えていた私は、ずっとずっと、「なぜ私は生きているのか?」ということが疑問だった。

 「なぜ私は生きているのか?」―進化の歩みを紐解いていけば、私という人間が今ここにいる『原因』ともいうべき理由が分かった。コアセルベートが単細胞生物になり、単細胞生物が多細胞生物になり(途中、かなり省略)、猿が人間となり(途中、めっちゃ省略)、父と母がいて、私がいる。しかし、それでも「なぜ私は生きているのか?」その『意味』が分からなかった。私が生きる意味は何なのか?

 それに答えてくれたのが、「哲学」だった。中学三年生で子供向けの哲学書を読み、これまた感動した私は、高校で倫理の授業にはまった。ニーチェの「神は死んだ」という言葉を座右の銘とし(今思えば意味分かってなかった)、カントのように「これでよし」と言って死にたいなどとインテリを気取っていた。

 そのため、私は文系の「人文学部」というところにも憧れるようになった。「民俗学」などの研究をしたいとも思った。なぜ「民俗学」だったのかと言われると、言葉の響きがかっこよかったせいだったという気がしないでもない。


 そんなこんなで、私は高校一年生の終わり、文系に進むか理系に進むかで悩んだ。私の通っていた高校は、二年生で文系と理系のクラスが分かれ、授業も別々になるのだった。まだ希望大学や学部は決まっていなくても、文系か理系かは一年生の時点で決めなくてはならなかった。

 生物か、哲学か―少し悩んだが、結局、私は生物を取った。生き物、特に大好きな哺乳動物の研究がしたい。私はその一心で理系を選び、まんまと数学で苦労するはめになるのだった。

 ちなみに、高校二年生までは小学生からの夢、「獣医」になろうと、某H大学獣医学部を目指していたが、三年生になって「私では偏差値が足りない」という現実を悟った。ものすごく努力すれば、もしかしたら小指くらい届いたかもしれないが、私はそれより「動物だけではなく、植物も含めて、自然界の生態系全体の勉強をしたい」と志すようになったので、三年生の夏に「植物の勉強もできる」とあっさり農学部へと希望を変更した。無事H大学農学部へ進学し、後に獣医学部の友人ができることになるのだが、その友人たちの話を聞く限り、私のやりたいことはやはり農学部で正解だったように思う。


 そんなこんなで、私はどんどん「見えない世界」のことを頭の片隅に追いやり、この世の中を「科学的理論」で捉えるようになっていった。私は理系だ、理系は理論で説明がつかないことは信じない、よって幽霊など怖くない、と自分に言い聞かせながら。

 ただ、その一方で、中高の時、霊感があり、「見える」と言う友人がいた。「自分の部屋で昼寝したらさー、窓の隙間から知らない男の人(幽霊)が2人してこんにちはー!って入ってきてさー。なんかしゃべって出て行ったんだよねー。別に何もしていかなかったけど、その間、私、金縛りで動けなくて超迷惑」などと、さも当然のように話してくれた。私はその友人と気が合い、仲が良かった。友達が嘘をついたり、単なる幻覚を見ていたりするようには見えなかった。

 だから、私は否定することもしなかった。「大変だったねー」と笑って友人の話を聞いていた。「そういう世界もあるんだな。でも、私には関係ない」というスタンスでいた。そもそも「見えない世界」のことを、科学的に説明することはできないが、完全に「ない」と理論で否定することもできない。理論的に否定できない以上、「絶対にない」とも言い切れないだろう。私はそういう考えで中学、高校、そして、大学時代を過ごした。ただひたすら、「私には関係ない」と無理やり遠ざけながら…。

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紫枝(しえ)
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