自分のこころについて
こころとはどういうものかしら。
本を読みつつ考えてみる。
こころはこうして創られる
ゆる言語学ラジオより。
面白く読めたけれど、かなり同じことを繰り返されている感覚に少しなる。
心は即興で、その場その場で説明を作り上げ、辻褄を合わせるという方針らしい。8割位は同意かも。
視覚についての箇所は、実例も交えてくれていてかなり直感的。
「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?
認知心理学の観点から、伝わらないことについて述べた本。前半で、「人と人とはわかり会えない」という創作の悪役みたいな気持ちになる絶望感がある。
ただ、後半に、わかり合えないなかで、どう伝えるのかを説いている。至極当たり前のことだけれども、なのに難易度が高いことだけれども、「相手の気持ちになって考える」ことが重要らしい。相手にもいくつもの知識や人生経験のフィルターがある中で、どれだけ寄り添えあるかを頑張る、らしい。
面白く読めた。
こころ
直感的な結論だけれど、自分の心は常に流れている映像のようなもののような気がする。そこに流すフィルムは、過去の記憶だったり、今の視界だったり、それらが混じったツギハギだったりする。その映像を見ている頭の中の自分が、体の反応も含めた心の動きを感情としている。映像を見ながら、きっと心はこうだ、事実はこうだとその時々でストーリーを作っている。その映像は無意識、または意識的に操作されるもので、良い意味でも悪い意味でもフィルターとなってしまい、コミュニケーションに影響を及ぼす。
他の人も多かれ少なかれこの形なので、どうしても過去の経験や記憶、今見たものの感覚から物事を捉えがちになる。相手がどう思考する傾向にあるかを、よくよく対話して観察しながらコミュニケーションしないと、相手に正確に意思を伝達するのは難しい。という感じ。
ピンと来る気がする。思考するときは写真みたいなものが頭の中に浮かぶ。それを見て、改めて説明文を考えている。
こんどはビジュアルシンカーでも読んでみようかしら。
ビジュアル・シンカーの脳
割と自分と考える仕組みは近い気がする。