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見える化した30年前の出来事の意味とか私20才とか云々
(約3000文字、長っ!)
アートグランツの申請書書きがまだ終わらず、そわそわと落ち着かない日々。ノートの更新なんてやってられん!くらい精神的に追い込まれております。
でも、今週はうれしい(?)ことがありました。いや、正しくは、うれしい、という一言で表現できる感情ではないし、もっと違うな。心動かされる事件という方が良いのかしら。適切な言葉を探したい。
なので、新鮮なうちにその気持ちをメモっておこうと思います。
忠告します。前置きが長くなります。
私が20歳のとき。
札幌で大学生で、彫刻を学んでおりました。ふとしたきっかけから、アートイベントのボランティアに参加し、海外アーティストのお手伝いをしてました。期間としては、2ヶ月くらいだったのかしら?
そのイベントですが、95年に東京で大規模に行われた水の波紋展というもの。大勢の参加アーティストは日本各地に派遣され、準備制作をしてました。
キュレーターさんですが、90年代の現代アートのカリスマと国際的に名の知られたベルギーのゲント現代美術館のヤンフートさん。
札幌においても講演会をして下さり、直接お話する機会がありました。
若くてバカで何もかんがえてない私は、ポートフォリオを見てくれと交渉。
図々しいというか、勇気ありますよね!過去の自分に感心します。今の自分は変わってしまったかもしれません。そんな恐ろしいこと、普通できませんよね(汗)
私のポートフォリオを数秒見て、即言ってくれました。
「東京の展覧会に招待したい。すぐこの札幌展にも作品を展示しなさい。」
なんと!
札幌で制作していたアーティストはアメリカ人、ベルギー人、オランダ人の3人。彼らの作品を東京へ移動させる前段階の展覧会が札幌で開催されてました。
札幌会場はサッポロファクトリー近くの写真スタジオ。一部がロフトになっており、天井が低い物置きのようなスペースがありました。
私はそこが気に入り、3点を展示に加えました。
ヤンフートさんが展示を見てくれました。
そして、
「この2点を買いたい。X円でどうだろう?」
え?
うわ!
驚き!
今となっては細かなことは覚えてなくて、いったい誰がどう動いてくれたのか謎です。東京まで、そして、ベルギーまでの運送費やその他の手配は、私の知らないうちに全て行われ、きちんと作品の送金もありました。
そのときに購入していただいた2点の作品が、ベルギーのゲント現代美術館のコレクションにあるのです。
というか、あるはずだよなー、きっとあるよなー、ずっと信じていたわけです。この30年間。
東京の展覧会の翌年あたり、ヨーロッパへ行く用事があり、ヤンフートさんにも挨拶に出向きました。彫刻はきちんと届いてるよ!と言ってくれたのを覚えてます。彼に会ったのは、それが最後となりました。
私としては、なんというのでしょうか、ずっと複雑な心情を抱えて生きてます。
あの頃からずいぶんかけはなれた制作をしてますし、未だに無名ですし、一応便宜上アーティストを名乗ってはおりますが、ギャラリーに所属するわけでもなくあくまでも自己申請。一体どこまで信憑性があるのか怪しい。申しわけない気持ちが大きいのです。
若い私に投資してもらったけど、その恩を返せてない罪悪感ですかね。
期待を裏切った、みたいな。
敬愛するヤンフート様、ごめんなさい。
この30年前の出来事って、普段あまり起こらないことだと思います。
美学生全員が体験することではない。そんな稀な機会を与えられた20歳の自分。
幸か不幸かはわからないけど、結果として、そういう運命だったと受け入れるとして、でもそれの意味することって一体何なのでしょう。
そういうものを背負うことと真剣に向かい合って生きてきたのだろうか。自分に問うのです。
あれから早30年も経ってしまいました。
今となっては、不思議とまるで他人事のように実感のない過去です。
本来なら、きっと、もっと、きちんと自覚するべきとか、何らかの責任が発症するとか、何かしら社会に還元するべき立場であるかもしれない。
けれども、たぶん、私の彫刻たちは、倉庫の奥の奥のそのまた奥に眠り続ける、ただ場所をとるだけの存在になってることでしょう。
彫刻を作るって、エゴで粗大ゴミを作ってることじゃん、とある時、価値観がシフトしてしまったんです。そういう生き方はちょっと違うな、と。
とくに、大学の終わりあたりからいろいろ葛藤し、限界を感じてしまって。それもあって、札幌を出て、制作方法を模索しながら今に至ってます。
なので、私の活動は、あちらこちらフラフラで、ピンポイントでコレ!と一言で簡潔に言い表すことは難しいのです。強いて言えば、美しいものを目にしたいし、作りたい。ただ、美しいものの定義は容易ではないような気がします。
そして、ようやっとなんですけど、
本題にたどり着きます。
予想通り、前置きが長くなりました!
そして今週、自分の名前を見つけたのです、ゲント現代美術館のコレクションに。写真までついてました!この事実を喜んで良いのやらどうなのか。
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そして、しかも、きちんと組み立てられてる!(ように見える)
そこも心配の種でした。
購入していただいた作品は、組立式で、微妙な不安定なバランスで立つのです。作品を手放すとき、多くの親がそうするように、大丈夫かなと心配したわりには、きちんとした取り扱い説明書を付属した記憶はないのです。全くプロ意識に欠けてます。
本当は2点あるはずですが、アーカイブにある写真は1点のみでした。
きっと、コレクションの電子アーカイブを一新しよう!みたいな企画が立ち上がり、若いバイトちゃん達が数人雇われて、奥の古い作品取り出して、ひとつずつ写真撮って、これって誰?知らないなー、何この作品?みたいな感じで、カタログに記入してくれたのだろうと想像し、胸が痛くなります。
いや、苦しくなるのです。
アーカイブ。大変な仕事ですよね。
もしかしたら、一生、二度と、誰にも必要とされないかもしれない物や情報を残していくのです。何を残すか、それとも残さないのか。
とりあえず、30年経って、まだ残ってるみたいだけど、この先どうなるかなんて、わかりません。
私が死んだ後なんて、記憶に留める人もいないだろうし、もし情報として残っていたとしても、それが意味することは何なのでしょうか。
ましてや、その情報に価値などあるのでしょうか。
作り手としての責任も問われます。
作りたかったから好き勝手に作った、では済まされない場合もあるかもしれません。
生まれたからと言って、好き勝手に生きていいわけではないように。
これだけつらつらと書いても、この今の感情に当てはまる言葉が見つからないのです。
ヤンフートさんは、2014年に亡くなってしまいました。
早すぎる死です。
彼が生きてる間に再会しても恥ずかしくない人間になっていたかった。
それにしても、当時の彼は、おそらく四十代だったと想像します。今現在の私より若い!とても熱くて魅力溢れるステキな方でした。
いくら有名でカリスマとはいえ、外国訪問中に無名の学生の作品を独断で購入するとか、普通ありえないですよね!
そんな好き勝手でやりたい放題が許されていた時代だったのかなー
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写真を撮ってくれたのが誰かはわからないのですが、大感謝です。
カナダ在住アラフィフです。子宮筋腫に振り回された一年をゆっくりマンガに描いてます。