楽園
お城を造っているつもりだった。永遠に汚されることのない、白く、輝く、私たちだけの城。それは楽園の中にあって、私たちはいつも、はるか彼方にある空に向けて手を伸ばし、笑っていたんだ。けれどある時、誰かが言った。それは残念だけど、砂のお城だったのよ、って。砂のお城は、いとも簡単に壊れてしまうのよ。あなたたちが手を伸ばし掴もうとしていたものは、同じじゃなかったってこと。
カーテンのすき間から入り込んだタクシーのヘッドライトで目が覚めた。枕元にあるケータイに手を伸ばし、時間を確認する。3:35 Saturday, December 25 の文字。タクシーが去っていった。ガチャガチャと鍵を回し入れる音、ゆっくりドアが開く。外から冷たい空気が入ってくるのが分かる。足音を立てていないつもりでも、その後悔を微塵も感じさせない、浮足立った音は耳元までしっかり届いている。次の瞬間、ソロリソロリと寝室の扉が開いた。数秒間の沈黙の後、再び閉まる。足音が去ったのを確認し、布団の中から顔を出した。
真っ暗闇の中で天を仰ぎ、ゆっくり目を開けた。もう一度枕元に忍び込ませたケータイに手を伸ばすと、こちらに向かって微笑む男の子と対面した。生きていれば、今日で7歳になる。画面に軽くキスをし、ケータイを戻した。
体を左に向ける。涙がこぼれ、耳に流れこんだ。何度経験してもこの気持ち悪さは慣れない。
音を立てないよう鼻をすすり、そのまま息を殺して静かに、泣いた。当分あの人が布団に潜ってこないことは知っている。
しばらくして、ハッと目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。布団はいつもよりフワフワとしたものに代わり、隣で寝ているはずのあの人の姿は見えなかった。視界がハッキリしない。まだ寝ぼけているのだろうか。そう思った瞬間、すごい勢いで手を引かれ、体が真下を向いたのが分かった。
落ちる! 思わず声が出て、そのまま体が急降下した。あまりに突然のことに頭が真っ白になり、自分が置かれている状況について、怖いだとか、どうしてだとか考えている余裕はなかった。5秒か、10秒か。突然視界が開け、地上に降り立った。特にケガをしているようすはなく、それどころか体が軽くなってさえいた。足元を確認する。足はしっかり地面に着いている。まるで体が宙に浮いているような軽さだ。
なんてこと。辺りを360度見回し、思わず声が漏れた。そこはずっと頭のなかで描いていた、あの楽園だった。
一歩一歩先へ進む。どこもかしこも木が生い茂り、甘い匂いが鼻を刺激する。近くを流れる水の音が耳に心地良い。長袖のパジャマでは暑すぎて、腕をまくった。湿った土の上を、何かに導かれるように素足で前へ前へ進む。初めて来た場所なのに、懐かしい気持ちになった。
水辺に着くと、二頭の小象が仲良く水浴びをしていた。体を沈める子と、人の子どものような体勢で座る子。二頭は鼻から水を放ち全身にかけ遊んでいた。空から降り注ぐ太陽の光りで、水面はキラキラ輝いている。まるで名画のような美しい光景だ。
二頭に見惚れていると、小象に隠れていたらしい人影が動いた。ゴクッとつばを飲み込み一歩後ろに下がる。象が移動し、姿がハッキリと見えた。頭には草冠、背中に大きな羽を生やしている。
天使……?
声に気づいたのか、振り返るとふわりと舞い、こちらに向かって飛んできた。逃げようとしたけれど、足がすくんで動けない。
天使は、笑顔で両手を前に何かを差し出すと、小象に乗り、空へと舞い上がっていた。
待って! 大声を出し右手を伸ばしてみるものの、天使はぐんぐん空に向かって飛んでいき、あっという間に姿は見えなくなり、声だけが虚しく響いた。
気づいたらまた寝室に戻り、布団の中から、天井に向かって右手を伸ばしていた。隣からは、スースーと規則正しい寝息が聞こえる。
左手に違和感がありそっと開くと、小さな、乳白色の貝殻が一枚あった。
胸に押し当て、心の中でつぶやく。
「ハッピーバースデー」
手の中に吸い込まれるよう、貝殻が、すっと消えた。