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"怪しげなビデオテープ"からの衝撃展開

私が高校3年の時から始まったエピソード

2002年、当時の私は地元の先輩(大学生たち)とよく連んでいました。先輩たちは大学1年から4年までいる男子学生の方々で、通う大学や学部がバラバラの学生コミュニティ的な集まりでした。可愛がって頂いてたのですが、よくあるパシられるという訳ではなく寧ろこちらから色々とご面倒をおかけしていました。

その時期は、自分の大学受験が控えていたため、現役学生である先輩たちから、ここぞとばかりに色々な情報を得ようとしていたのです。

ところが、とあるハプニング的なことをきっかけに物事が思いもしなかった方向へと展開していったのです。もう20年以上前の出来事ですが、今回はそのエピソードについてnoteに書きます。

"オトナの階段登る"予感!

ある日のことー

それは、ことあるごとに集合していた先輩の家での出来事です。最年長で大学4年の先輩(=教育関係に内定)が何やらニヤニヤしながら「今日はこのビデオを観ようぜ」と言い、タイトルラベルの貼付されていない"怪しげなビデオテープ"を徐ろにカバンから取り出しました。

血気盛んな男子学生である先輩たちと私しかいない部屋(アジト)で、突如として持ち込まれた"怪しげなビデオテープ"。直感的ではありましたが、それは"オトナの階段登る"という予感しかありませんでした。

早速、ビデオデッキで再生させることに。

"怪しげなビデオテープ"の内容

映像が始まったー

本編は女性の声から始まりました。撮影現場はオフィスのような場所です。白人女性が中心にいて、男女複数人が熱くなっている様子が、字幕付きで画面に映ります。

そうしている中「・・そのパワーの秘密と可能性を世界の最先端の動きの中に探った」と女性のナレーションが入りました。画面に映し出されている方々が感じているものは、まさしく生きがいであることを見せつけられました。

映像の後半の方では、アメリカの法廷が出てきました。犯罪に走った青年たちを支援する民間での活動が紹介されていました。

偶発的に何気なく見た映像を一通り見終わった後、自分の中で急に何かが覚醒したのが分かりました。

もの凄い可能性を感じることに!

先輩の家からの帰り際に「この映像をまた見たいのでビデオを貸して下さい!」と言い、自分の家でも見ることにしたのです。それから何かに取り憑かれた様に何度か映像を見ました。

実は先輩から借りて来たビデオテープは、テレビ番組が録画されたもので、映像は「NHKスペシャル 変革の世紀 第5回 社会を変える新たな主役」(2002年放送)というものでした。

2002年当時、私はこの"怪しげなビデオテープ"というアナログなものからアメリカの先進事例を知り、そしてNPOというものに可能性を感じたのです。

それまでの私は、NPOの存在と役割について全く理解が及んでおりませんでした。日本でも既にNPOは存在しておりましたが、お恥ずかしながらNGOとの区別は曖昧で、実際には社会科学習程度の理解度でした。

日本でのNPOについて
1998年には、NPO法が制定され、2001年に施行されたことで、NPO法人の認証制度が整備されました。これにより、NPO法人がより安定的な運営を行いやすくなり、社会福祉や文化活動、環境保護などの分野で活躍するNPO法人が増えました。

AIによる回答

NPOを推薦入試の小論文に!

ちょうどその頃、私は志望大学への推薦入試(経済学部志望)として小論文の作成と提出を求められていたタイミングでした。そこで、日本社会における経済活性化の一手段として、企業戦士によるNPOへ参画のついての小論文を書くことにしたのです。つまりこれはNPOにおけるプロボノによる支援活動のことであります。

プロボノとは、ラテン語で「公共善のために」を意味する「pro bono publico」の略です。仕事で培った専門知識やスキルを無償で提供し、社会課題の解決に取り組むボランティア活動のことを指します。

AIによる回答

今となっては中間支援やプロボノの存在は一般的に知られる様になりましたが、当時としては先進的な取り組みであると思い、この内容を小論文として書くことで絶対に志望大学に合格するだろうと、妙な確信が生まれました。

そして、作成した小論文は進路担当の先生からの厳しい査読をクリアしたのですが、おそらく先生も私の"宇宙語"に対応するために色々と勉強されたり、調べられたりしたのだと思います。

その後、小論文を提出し、大学面接の本番では経済学部の教授相手に口頭でもお話し致しました。色々と熱意が伝わったり、他の要因も重なったりして、その場で「YOUはうちの大学来ちゃいなよ」と言われるのではないかと思うぐらい面接官は好反応を示してくれました。

そうした成功法則を掴んだ様なアルゴリズムが発生し、無事に大学合格。

いつかは社会貢献のためにNPOを立ち上げたいとの想い

私が大学生になってからは、卒業した高校のある地域で活動する団体や研究会などに参加し、ソーシャル活動の知見や人のつながり形成を学んだのです。

それからしばらくして在学中に「Side Beach City」(=横浜市)というテーマのもと、デザインプロジェクトを開始しました。このプロジェクトは、まちづくり等ソーシャル活動開始の前段階におけるコンセプトづくりです。後々、コンセプトがしっかりしていることは重要であることを認識します。

尚、当初の正式表記は「Side Beach City」でドットは付いておりません。現在は「SIDE BEACH CITY.」となっております。

2007年には卒業論文『日本のニュータウン開発 ーニュータウン衰退時代の到来と都市再生を目指してー』を執筆(後に論文集の収録)し、NPOによる構想ないし政策提言に至るまで論文にしました。論文の詳細については別途、noteに書きたいと思います。

月日が流れ紆余曲折を経て

2009年、私は「まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.」という任意団体を設立し、2017年12月にはNPO法人として設立することになりました。遂に念願のNPOとして華々しくスタートアップしたのであります。

あの日に見た"怪しげなビデオテープ"は、内容が素晴らしくそれからの私の人生に影響を与えたのでした。きっと他の人が見てもNKHスペシャルの一つの特集に過ぎなかったかもしれません。しかし、自分にとってはかなり影響を受けました。態々録画して持参して下さった先輩、そして受験を応援して下さった皆様には感謝しかありませんし、今でも感謝しております。

直感や閃きが新しい領域に自分自身を導くことあるという体験談ですが、そういった定量的には語れない感覚的なものも大切にしています。引き続きソーシャルフィクサーとして、凡ゆる方法でのソーシャル活動と社会貢献を全うしていきたいと存じます。

さいごに

ここまでお読み頂き、心より感謝申し上げます。名称や横文字が多く難しさを感じられたかもしれません。もし、この投稿が「参考になった」「興味を持った」という方は、フォロー、スキを頂けると嬉しいです。

今後とも幅広く社会活動を展開しているソーシャルフィクサーとして様々な実践と実戦を投稿しますので、お付き合い頂けますと幸いです。

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