(仮称)国民時間本位制。そこでの家事、時間、通貨とは


前置き

前回は主に家事と時間の関係を論じた。今回は時間と通貨の関係を掘り下げる。

時間を交換するというアイデア

時間本位制は、タイムバンキングやタイムクレジットといった社会実験で検証されているそうですね。知りませんでした。私が仮称する「国民時間本位制」は、私の家事の価値論から導き出される通貨体制であり、それが既存の社会実験と似た形になっているのは興味深い。

が、根拠を論理的にしっかり固めて計算できるようにしている点で、既存のフワっとしたものとは全く違う。その理解を(私が)深めるために、家事と時間と通貨の関係や性質、機能及びその限界を比較する。

時間と通貨の比較

通貨の3機能

価値尺度機能、交換機能、価値貯蔵機能の3つ。

詳細はリンク先に任せるとして、「時間」にこの3機能があるかを検証する。

Q. 時間に価値尺度機能はあるか?

A. 部分的にある。個人視点なら、個人の持つ時間の質が1通りなので比較可能。しかし、それを他者と共有するのは非常に難しい。1時間の質と価値は人によって異なる。均質化された大衆(理想気体みたいなものですね?)や統計上の一般人を想定するなら良いかもしれない。

Q. 時間に交換機能はあるか?

A. 部分的にある。その場で即時に交換できる場合は当然に成り立つし、貸し借りという無形の口約束でも良い。ただし、これは2者間の限定。3者以上になったり長期化すると途端に複雑化するため、人の脳で管理しきるのが難しくなる。

Q. 時間に価値貯蔵機能はあるか?

A. ほぼない。時間を止めることはできない。先払いや後払いをするにしても、上記の通り、記憶に依存する。未来に時間を増やすことはできるが、時間そのもの移転させることはできない。

通貨は時間の機能拡張版

通貨にすれば誰とでも価値尺度を共有できるし、交換も簡単。先払いも後払いも楽々。すごい便利!

ただ、通貨は便利だけど、気をつけねばならないことがある。通貨は時間ではない。通貨を上手く使って自由時間を得なければ、例え通帳の残高が増えても、豊かになったとは言えない。

暇なしは貧乏

「貧乏暇なし」は「金がない人は時間を得られない」だが、時間も豊かさなので、金があっても暇がなければ貧乏。家庭を省みない働き方をした父親が、その稼ぎの大きさとは関係なく家の中で軽視される(お金を持って帰ってくるだけの人)のは、とても貧しいことだろう。

通貨は時間の質を表せる

例えば、狩猟1時間で1の食肉を得るのと、2時間で1の食肉を得るのとでは、時間の質が違う。固定相場の物々交換なら、前者の時間は後者の2倍の質を持つこととなる。「質」を「時給」に置き換えて良い。

実際には、そこに複雑な生産原価や付加価値、輸送、保存などのコストが含まれる。その上で、需給バランスや利益率などによる変動がある。

国民時間本位制の社会においては、おそらく、通貨の時間の質を表す側面が強く出てくる。通貨を得る際も、払う際も、時間収支を意識することになるからだ。

まとめ

通貨は時間の機能拡張版。すごく便利。

しかし、通貨そのものは時間ではない。

家事で自由時間を作り、その自由時間の一部を通貨に変換している。変換された通貨には3つの機能が備わる。その機能によって、好きな時に通貨を時間へ兌換する。通貨と時間のどちらも不足してはならない。

要はワークライフバランスの最適化ですね。

個人は時間を通貨に変換し、通貨を時間に兌換する。その2つの過程は別であるから、それぞれの交換率を別々に改善できる。

長時間労働の蔓延る今の日本では、通貨を時間に兌換する際のレートが差し当たって重要となるだろう。

ネタのメモ

なぜ「国民」時間本位制なのか。対象を自国民に絞らないと簡単に乗っ取られるからだ。

GDP、GDIに並ぶ、新しい豊かさの指標
生活水準を表す、国民総家事時間。
真に求めるべき、国民総自由時間。
労働時間の合計、国民総生産時間。

組み合わせによって様々な分析を簡易にできるようになるはずだ。これだけでも重い内容なので、そのうち改めて別に書こうと思う。

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