子宝が宝ではなくなる時の計算
この記事のきっかけ
多産DVというパワー溢れる言葉を見かけたので、取り急ぎ書き上げる。子供には価値が無いからそんなことを言えるんだよねっていう話。価値があるなら、外野は多産DVなどという言葉で夫を叩くのではなく、妻を称えながら羨むから。
前提知識
以下で解説した人の生活モデルをもとに、子を授かることと児童労働の経済性を概算する。
児童労働の合理性と経済性
生活水準の低い国では出生率が高く、その理由を「子供に労働させるため」と説明されることが多い。
なぜそうなるのか?児童労働の合理性と経済性について数理的な解説を試みる。
夫婦2人生活といくつかの仮定
妊活、妊娠、出産、育児を恙無くこなせたと仮定しよう。それらに必要な1日あたりの平均所要時間(消費する「暇な時間」)をRとする。
セックスも含めたRは「出産予定の児童の命に必要な家事を母親と環境が代行した」と解釈できる。
日数を仮定する
妊活20日+十月十日(とつきとおか)~300日
児童労働は満5歳ぐらいからとする ~2000日
あわせて2300日
2300Rが児童労働者1人を生産するのに必要な合計時間となる
生活水準とは
次に、生活水準を考える。生活水準は生活インフラなどによって国や地域差がある。それを、「1人の1日の健康な生活に必要な、1人あたりの平均家事時間」と仮定する。これをSとする。生活水準が高いほど、Sは小さくなる。
まさに宝!?児童労働!
両親は、児童労働によって両親の1日の家事時間2Sを子供に外注する。この外注によって稼げる総時間2S*日数dが、2300R*子供の人数nを超える限り、子供を増やし続けるのが強いことになる。つまり
2Sd>2300Rn
が成り立つなら、子供は宝となる。宝は親の生活を楽にしてくれる。子は、その親を見て育つ。
宝かと思ったらガラクタ!?産み損!
さて、Sの定義を思い出そう。Sは、1日の家事の時間だ。生活水準が上がるほどに短くなる。生活水準が低ければ、川に水を汲みに行く。高ければ、水道の蛇口を捻る。Sが十分に小さくなれば、親が楽をするのに必要な子供の数も減る。産みすぎれば産み損となる。
また、ここに、児童労働の禁止を算入する。
日本にあわせて15歳とすれば、5500から6000日程度となる。
この時、子供が宝となるには
2Sd>6300Rn
一層、産み損になりやすい。
以上で、児童労働の合理性と、それが損なわれ、子宝が宝ではなくなってしまった解説とする。
育児罰や多産DVなどと言って多産を腐すのは、男女どちらも子から何ら利益を得られないからだ。
まとめ。今は産み損。でも……
生活水準の向上と子供の人権は少子化を加速させる。
ただ、我々は知っている。長期で考えれば、社会インフラを支える(十分に自国の教育と常識を学んだ)若い労働者がいなくなってしまえば、自分の生活(や治安)も危うくなることを。社会制度で乗り越えるべき課題だ。インフラと子供の人権が原因なので、移民は人口減少問題を解決できない。
私が研究し続けている家事の価値論では、その課題を解く道筋をつけることも試みている。一例。
これは一例でしか無い。
2Sd>6300Rn
この計算式を制度で破壊すればいいだけなので、無数の選択肢が存在する。
これもまた書き直さないとなぁ