家事、育児、教育、医療、介護。そして、余暇。原始生活の思考実験と数理最適化1
前回の続き。
書ききれなかったので分割します。今回は主に、育児について。
前回の概要
家事を再定義し、素朴な生活を捉え直した。
余暇そのものが交換価値を持ち、家事は余暇を生産する。というのを示せたかなぁ。
これの重要な点は、時間(余暇)という物理量で人々の経済(交換)活動を測れるようにしたことだ。通貨単位などという感覚量は再現性に乏しいため、時間(余暇)を価値の単位として扱う。金は時なり。金は時間に従属する。
引用で自分の過去記事を引っ張ってくるの何か背徳感あるな。まいいや。
続・原始生活の思考実験
想定3。5人。
通貨なし。取引あり。医療と介護と育児(社会保障)について考えたい。
スケールメリットを無視。単純化。
家事a,b,c,dを想定する。簡単のため、それぞれの基準時間を4時間で統一する。1人が健康に1日を終えるには、家事a,b,c,dそれぞれ基準時間(4時間)の労働力を必要とする。つまり、合計で16時間分の家事を毎日必要とする。
家事スキルレベル
各個人の家事のスキルレベルを想定する。
★1個につき遂行速度を+60%する。つまり、★★★★★は速度+300%の合計速度400%なので、基準時間の1/4の時間で完了する。
☆☆☆☆☆100% → 4 時間
★☆☆☆☆160% → 2.5 時間
★★☆☆☆220% →約 1.82 時間
★★★☆☆280% →約 1.43 時間
★★★★☆340% →約 1.18 時間
★★★★★400% → 1 時間
A
家事a ★★★★★
家事b ★★★★☆
家事c ★★★★☆
家事d ★★★☆☆
B
家事a ★★★★☆
家事b ★★★★★
家事c ★★★☆☆
家事d ★★★★☆
C(病)
家事a ★★★★☆→★☆☆☆☆
家事b ★☆☆☆☆→☆☆☆☆☆
家事c ★★★★☆→★☆☆☆☆
家事d ★☆☆☆☆→☆☆☆☆☆
D(老)
家事a ☆☆☆☆☆
家事b ★☆☆☆☆
家事c ☆☆☆☆☆
家事d ☆☆☆☆☆
E(児)
家事a ★☆☆☆☆
家事b ☆☆☆☆☆
家事c ☆☆☆☆☆
家事d ☆☆☆☆☆
家事aは肉体労働(軽)
家事bは頭脳労働(軽)
家事cは肉体労働(重)
家事bは頭脳労働(重)
を想定している。
この5人の集団が生きるために必要な基準家事時間の合計は、
4時間x4種x5人=80時間
例えば家事aの基準家事時間の合計は、
4時間x5人=20時間
Aが、任意の基準時間の家事aを済ませるために取り組むべき時間[T(Aa)]は、[T(Aa)] = (任意基準時間)/(1+0.6*個人のスキルレベル)
基準家事時間をTs、家事aの基準家事時間を[Ts(a)]とする。
家事aのAのスキルレベルを[Slv(Aa)]とする。
家事aを5人で分担する際の計算式は、
5*[Ts(a)]
= (1+0.6*[Slv(Aa)])*[T(Aa)]
+(1+0.6*[Slv(Ba)])*[T(Ba)]
+(1+0.6*[Slv(Ca)])*[T(Ca)]
+(1+0.6*[Slv(Da)])*[T(Da)]
+(1+0.6*[Slv(Ea)])*[T(Ea)]
また、この集団が家事aに取り組む総時間は、
[T(Aa)]+[T(Ba)]+[T(Ca)]+[T(Da)]+[T(Ea)]
Aが家事a,b,c,dに取り組む合計時間は、
[T(Aa)]+[T(Ab)]+[T(Ac)]+[T(Ad)]
Aが受け取る家事奉仕は、
[Ts(a)]
= (1+0.6*[Slv(Aa)])*[T(Aa)]
+(1+0.6*[Slv(Ba)])*[T(Ba)]
+(1+0.6*[Slv(Ca)])*[T(Ca)]
+(1+0.6*[Slv(Da)])*[T(Da)]
+(1+0.6*[Slv(Ea)])*[T(Ea)]
[Ts(b)]
= (1+0.6*[Slv(Ab)])*[T(Ab)]
+(1+0.6*[Slv(Bb)])*[T(Bb)]
+(1+0.6*[Slv(Cb)])*[T(Cb)]
+(1+0.6*[Slv(Db)])*[T(Db)]
+(1+0.6*[Slv(Eb)])*[T(Eb)]
[Ts(c)]
= (1+0.6*[Slv(Ac)])*[T(Ac)]
+(1+0.6*[Slv(Bc)])*[T(Bc)]
+(1+0.6*[Slv(Cc)])*[T(Cc)]
+(1+0.6*[Slv(Dc)])*[T(Dc)]
+(1+0.6*[Slv(Ec)])*[T(Ec)]
[Ts(d)]
= (1+0.6*[Slv(Ad)])*[T(Ad)]
+(1+0.6*[Slv(Bd)])*[T(Bd)]
+(1+0.6*[Slv(Cd)])*[T(Cd)]
+(1+0.6*[Slv(Dd)])*[T(Dd)]
+(1+0.6*[Slv(Ed)])*[T(Ed)]
仮設定
余暇は通貨なので、余暇の最大化に務める。いくつかのパターンを想定する。
集団の総余暇時間を最大化するパターン。集団の総家事時間を最小化すると言っても良い。
個人の余暇時間を最大化するパターン。個人の家事時間を最小化すると言っても良い。
各個人の余暇時間を均衡させるパターン。集団の不満を最小化すると言っても良い。
要は家事時間の数理最適化。鍵は、短期で見るか、長期で見るかだ。
*最終的に基準家事時間へ換算するため、集団への貢献度を個人別に数値化できる。
とりあえず動かしてみる
短期的に集団の総家事時間を最小化するなら、Aが家事aとc、Bは家事bとdの5人分を受け持つ。
このとき、全体の家事は
家事a 20時間→5時間
家事b 20時間→5時間
家事c 20時間→約5.9時間
家事d 20時間→約5.9時間
AとBは1日10.9時間労働。厳しい。集団として短期の総コストを最小化すると、優秀な個人に仕事が集中してしまう現象。優秀な個人ってだいたい色々できちゃう印象ありません?
集団の最小コスト解は個人の最適解とは限らない。そもそも集団の最適解とも限らない。色々できる優秀なオールラウンダーを特定の労働に縛り付けておくのは効率が悪い。人の技能にはだいたい偏りがあるので、組織を動かすにはそれを臨機応変に補ってまわせる人を暇にしておく必要がある。
更に仮設定色々
1日の回復行動時間を12時間とする。この時間を減らした個体は心身の健康を損ねて死ぬか、何らかの手段で誰かを殺す。自身または誰かの余暇の喪失。
1日の余暇時間が4時間を切った場合、その個体は心身の健康を損ねて死ぬか、何らかの手段で誰かを殺す。自身または誰かの余暇の喪失。
また、家事不十分で健康を損なうのが確定した時点で、その個体は何らかの手段で誰かを殺す。自身または誰かの余暇の喪失。自殺か殺人により総余暇の著しい減少が起こることを、大雑把に破滅と呼んでみる。
つまり、個人の家事時間は8時間以下でなければならない。そうでないとき、例えばAは、
[T(Aa)]+[T(Ab)]+[T(Ac)]+[T(Ad)] > 8
の時に破滅となる。
更に、Aが受ける家事奉仕は全て十分でなければならない。十分でない時、例えば家事aなら、
[Ts(a)]
>(1+0.6*[Slv(Aa)])*[T(Aa)]
+(1+0.6*[Slv(Ba)])*[T(Ba)]
+(1+0.6*[Slv(Ca)])*[T(Ca)]
+(1+0.6*[Slv(Da)])*[T(Da)]
+(1+0.6*[Slv(Ea)])*[T(Ea)]
の時に破滅となる。
集団の総余暇時間を最大化(破滅)
仮設定から、健康に仕事可能な時間は1人につき8時間である。9時-17時を意識した値。
上述の通り、AとBが10.9時間労働することになるため、1日や2日ならまだしも、1週以上続いたりすれば余暇、回復、家事のいずれかについて常時不足し、健康を損ね、自殺か殺人を起こすもし、AとBが生き残れば、1人分の負担を減らせる。
全体の家事は
家事a 16時間→4時間
家事b 16時間→4時間
家事c 16時間→約4.7時間
家事d 16時間→約4.7時間
AとBは1日8.7時間労働。まだオーバーしているけど、少し長持ちさせられるのでマシな破滅。
集団としての総余暇時間を最大化(総コストを最小化)するのは、一見、合理的だ。しかし、長期では優秀な労働者の健康を損ねて余暇を喪失し、集団の総余暇を減少させる。リアルによく見る光景はAとBが疲弊していくパターン。
個人の余暇時間を最大化(破滅)
A,Bは逃亡した。C,D,Eは死んだ。あるいはC,D,EがA,Bの逃亡を阻止して奴隷化。何ならA,Bどちらか一方を殺して脅迫しても良い。どちらにしろ破滅なのだから両方に逃げられるよりはマシな破滅を選ぶ。
リアルでやるとA,Bによる保護責任者遺棄致死罪か、A,Bの過労とストレス死。合法的に逃亡を阻止されて奴隷化されるんだから、A,Bは絶望だね。A,BはC,D,Eのいずれかを早々に殺せば苦しみも短くてマシっぽいが、どちらにせよ殺人の前科がつくので割と本気で詰んでる。「事実上の自死か、殺しか」なら殺しを選ぶだろうから法で禁じられるのは妥当である一方、それを悪用されているのが現状だろう。
各個人の余暇時間を均衡させる
結局のところ、AとBは逃亡できない。家事の大部分を担わねばならない。
各人の視点で己の余暇を最大化するよう努めてみる。
AはCが癒えることとEが成長して労働力になるのを期待しつつ、家事をCDEへ適切に割り振る。
BはAと同じ
Cはaかcを少しだけ担いながら療養する
Dは働かずにいると殺されるので、bを少しだけ担いながら死期を待つ
Eはaを少しだけ担いながら成長する。成長こそが役割
実はここで、家事分担の管理という家事xが発生している。同じ時間に寝食を共にしているのなら、暇そうな人に労働させるか、暇になったら労働するというシンプルなやり方で余暇時間を均衡させられる。私はこの家事xこそが家政の本質であると考えるが、今は棚上げ。
AとBは逃げれば殺されるので集団の家事を担わねばならない。AとBが逃げたり過労で潰れたりキレたりすれば結果としてにC,D,Eの余命の総余暇も減るため、C,D,Eは短期的な余暇の減少を受け入れて家事を担わねばならない。
簡単のために、AとBともう1人で考える
また設定
この場合はA,Bが夫婦であると仮定したほうがわかりやすい。指導のもとで訓練しながら実務をこなしていけばEのスキルレベルは上がる。子育て。将来、家事の一部を任せることができれば、A,Bの余命の家事時間を減らして総余暇を増やすことができるはず。
単にEのスキルレベルが上がっていく場合
Eの全スキルが★4まで上昇する
AとBはEの訓練指導に毎日1時間を費やす
Eは訓練指導を受けるのに毎日2時間を費やす
計算
Eが成長後の計算
時間切れ
今日はここまで。
この後の流れ
次の日曜に何とかしたい
・指導訓練の価値と、余暇の生産量の整理
・児童労働の価値
・児童労働を上回る教育の価値
・医療の価値
・介護の機能と価値
重要なのは余暇の生産量である。ここで言う「価値」の単位は余暇時間である。通貨単位ではない。
指導訓練の価値は、Eが未成長のままな場合と、成長後の場合とで比較する。その差分がまさに指導訓練の時間の価値となる。中卒と高卒の生涯収入を比較して、その差分で高校の存在価値を計算するようなものだ。(差分価値/高校3年間の時間)で高校生活の時給を計算できる。
A,Bの家事時間は、A,B2人だけのときと変わらない。Eのスキルレベルが不足しているからだが、しかし、それは些細なことだ。重要なのは余暇の生産量である。この集団の総余暇量は増えている。看護や介護の余裕が生まれる。
ここまでは児童労働の経済性。この次は、教育の経済性。労働させずに教育を受けさせることの利。端的に言えば、スキルレベルの上限突破。天才たちの蓄積してきた知識を得られる教育によって、★200とかにできる。そして、そのスキルは家事ではなくなる。公益性や経済性から、公共インフラや事業となる。だって、★200もあれば、家ではなく村や街を支えられるから。
雑記。教育は誰の益?
教育はまず集団の益である。それを皆で評価して報酬を与えるからこそ個人の利益にもなる。いつだかにどこぞの財務さんが「高等教育は個人の私的利益」などと言っていたが、そもそも国益と個人利益を二項対立として扱うこと自体が致命的な間違いである。高等教育は、まず、国益。その上で、優秀な個人に皆で報いるから個人利益にもなる。国益であることは揺るぎないが、個人利益になるかどうかは、資本主義社会においては金持ちの気分(景気)次第なのだ。
博士号持ちが就職しづらい社会で、高等教育は個人利益になっているか?否である。
無能による階級闘争に資本家の暗黒面があわさったんかね。知らんけど。研究者倫理とかふざけたこと言いやがって。挙げ句に、稼げる研究をしろだとか、選択と集中だとかで、商人としての仕事すら放棄しやがる。科学研究はそれまでの社会常識を覆すのが常だ。本質的に反社会的なものだろうが。経済という緩衝材によって研究成果と社会との衝突を優しくするんだ。
ガリレオたちを救う役割の人々が、彼らに石を投げ、鞭を打っている。本当にむごい。
科学力の低下?違う。経済力の低下だ。有能な商人の不足だ。つまり、科学と数学に知悉した文系の不足であり、文系に進むと科学と数学をほぼ放棄することになる教育体制の不備であり、科学と数学の重要性を十分に訴えられていない企業や政治の不作為であり、国民の認識の不足だ。毎日の清潔な飲水を調達するという家事が、原始状態だとどれだけ大変なことか。
など書いてる間に計算を清書すりゃいいものを。