家事の価値。労働市場に依らない絶対的な価値の計算方法

ここで用いられる家事の定義はこちら

家事とは何か(短縮版)

・頭脳労働、肉体労働、感情労働を含む
・通貨や資源を命に変換する唯一の労働
・常に無償

家事の頭脳労働

特に注目すべきは、頭脳労働面。これは企業活動における管理や意思決定と同様である。つまり、夫が家事をやらずに妻へ丸投げ(外注)するという、旧時代にありがちだった意思決定も家事となる。ただし、個人ではなく世帯の家事への貢献度には大きな差がある。

回復時間を用意する家事

人が働くには、気力や体力の回復時間を必要とする。代表的なのは食事や睡眠。それらを用意するのが家事だ。家事を完全に放棄すれば、食事の用意すらしないことになる。死ぬ。

有償化された家事は家事ではなくなる

他人に提供できるほど効率化された家事は、取引材料として有償化・外部化される。井戸と水道の関係などがわかりやすいだろうか。マイクラマルチで人と取引する際の、効率と有償性について考えてみるのも良いかもしれない。

家事の価値の形

上述のリンク

ここで使った設定を流用する。

原始的な2人生活

狩猟の得意なAさんと、採集の得意なBさんが居る。

図1-1

お互いに、相手の得意家事を己の家事から廃して、相手に外注する。

2人とも自由時間を増やすことができる。労働市場において狩猟の成果と採集の成果を交換したのだ。具体的には、1日に必要な食肉と食用植物の交換だろう。

有償化された家事(賃労働)の市場価値

ここで、狩猟成果=採集成果という市場価値を見出だせる。仮に1000円としよう。

一方で、「1人分多く狩猟して、採集を外注する」という家事上の意思決定の価値は、増えた自由時間だ。この場合は2時間である。

まとめると、Aさんにとって、

2時間分の狩猟成果=1日分の食用植物=1000円=2時間分の自由時間

2時間の狩猟で1000円稼げば、自力だと4時間かかる採集を1000円(2時間)で購入できる。その結果として2時間の自由時間を得られる。

この時、狩猟という家事の価値は、労働市場での価値と同じく、2時間で1000円だ。

しかし、これは非常に特殊なパターン。払った時間と得た時間が偶然同じ値だから成り立つ。現実にそんな事が起こるのはほぼありえない。

時間の質の違い

例えば、自力だと採集に5時間かかるなら?3時間の自由時間を得られる。

2時間を売って、3時間を買ったわけだ。

時間の質が違う。この違いを現状の通貨は捉えきれていない。通貨の収支は同じでも、時間の質が変われば時間の収支も人や環境によって異なる。

家事が生産するもの

「自力では採集せず、有償の狩猟労働を経由して採集を外注する」という家事判断は、自由時間を増やす。この自由時間の生産こそが家事の価値だ。

結論

以上から、市場価値をもとに家事労働の価値を計算しようとする全ての既存手法は根本的に間違いであると断ずる。

我々は、家事で自由時間を増やすために金を稼いでいる。

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