なぜ地域を愛するのか⑤
誰にも青春時代があると思います。
でも私にとっての青春と言える時期は社会人になって最初の数年間だった気がします。
商社で営業担当者となって間もないころ、ある建築設計事務所に出入りするようになりました。もちろん定期業務のためでしたが、そこにいた若手のM設計士さんがやけにフレンドリーで、堅苦しい対応だった私によく「まあ座りなよ。お茶でも出すから。今は所長いないし(笑)」と言って息抜きをさせてくれました。
話の内容といえば趣味や遊びのこと、美味しい食べ物のことなど。最初は遠慮していた私も、だんだんと気安くなっていって、予定が無かった時は数時間お話することもありました。何だか取引先のスタッフさんなのに友達のような感覚になっていきました。(もちろんその分、仕事の方でも応援してくれました)
そのうちそのM設計士さんの仕事仲間(別の設計士さんや測量士さんなど)とも知り合いになり、年代が近かったこともあって、みんなで食事にいくようになっていきました。時には観光に出かけたり、誰かの家で食材を持ち寄ってパーティーをするなど、仕事は私だけ少しジャンルが違いましたが、気の許せる仲間として親しくして頂きました。
リーダーシップはM設計士さんが取ってくれて、その人が何か企画するとみんなが集まるという感じで交流が続いていきました。男性も女性もいて、みんな性格も素晴らしく、私の人生の中で友と呼べる人たちを得ることができました。
長く交流は続き、仕事を独立したり、結婚したりと境遇は変化していきましたが、その人生の節目ごとに集まってお祝いをするような素敵な関係は続いていきました。私の結婚の時や子どもが生まれて命名をした時などもお祝いをしてくれて、気が付けばいつも身近にいてくれた友達になっていました。
また、その設計士さんたちが慕う師匠のような存在が、最初に登場した設計事務所のK所長さんでした。温厚で優しく、でも仕事は誰もが認める才能をお持ちの有名な建築設計士です。多くの賞も受賞されていました。K所長さんもよく私たちの食事会に顔を出していただき、一緒に楽しい時間を過ごすことが増えていきました。
社会人になると交友関係が変わると言いますが、私も学生時代の友人とは時間が合わなくなっていましたので、このような友人関係を仕事も違う、出身も違う人たちと築けるとは思ってもいませんでした。もしあの時、あの設計事務所を担当していなかったら、もしあのM設計士さんがいなかったら、こんな素敵な仲間を得ることは出来なかったと思います。
この設計事務所もまた富田地区にあり、現在はM設計士さんは独立されていますが、K所長は今もご活躍でいらっしゃいます。
そばを通るたびに、楽しかった思い出が心に浮かび「お元気かな?会いたいなあ」と懐かしい気持ちになります。
ここから話は続きます。
私が新聞店を開業してからは生活習慣が変わり、多忙を極めたため、少し会える機会が減りましたが、それでも年に数回は交流が続きました。
最初の専売所は小松島市で開業しましたが、現在の富田専売所は2店目になります。前専売所長のご不幸により急遽異動が決まったわけですが、驚いたことにその告別式の会場で設計事務所のK所長さんとバッタリお会いしたのです。
来られた経緯をお伺いすると、何というご縁でしょう!富田専売所の前所長とは同級生のご友人でいらっしゃって、ご自宅兼専売所の設計もK所長さんが手掛けられていたのです。
もうここまでくるとただならぬご縁を感じずにはいられません。私の人生の節目に異なる時代の恩人や友人が次々に現れて、再会を果たすのです。
ちなみに私の妻はかつて富田地区のコンサルティング会社で事務受付をしていました。私が営業担当で出入りしていたため知り合うことになり結婚しました。人生の伴侶も富田地区で見つけたことになります。
世間は狭いと言いますが、ここまで特定の地域で人生を展開する人間も珍しいでしょう。
どんだけ富田地区と一体なんだ?そう思うことも多々あります(笑)
徳島新聞富田専売所
株式会社七田新聞店
代表取締役七田伸也