【短編小説】 シロクマと音楽
かつて僕はシロクマでした。僕らの生息地であった北極の氷が溶けて棲家を失ったのは四半世紀も前のこと。それでも僕らは泳ぎが得意だったから、どこか遠い土地へと泳いでいき、別の北の大地に移り住むこともできたのです。例えばスカンジナビア半島だとか、サハ共和国だとか。それでもそんな運命を選ばなかったのはずっと一緒に暮らしてきた家族や仲間たちのことが大好きだったからで、そしてそんな同族たちと生活を共に過ごしてきた故郷と呼べる氷土がどうしても忘れがたく恋しかったからです。僕たちの種族に訪れるだろう暗い未来については予兆を感じていました。年々とアザラシもシロイルカもサケも数が減っていき、それでも僕らは食糧を分かち合って生き延びていたのです。
ある晴れた日に人間が犬ぞりに乗って颯爽と氷の上を走っていくのを目撃しました。僕たちは人間が嫌いでした。勝手に棲家に入り込んで、何かを成し遂げたような顔持ちで観測基地やら電波塔を建設して帰っていく。身勝手な連中だといまでも思います。僕は一度人間を食べたことがあります。腹が減っていたというのが主な理由ですが、そこには人間に対する仄暗い感情があったのも事実です。それでも、とこのまま話を続けたら文脈的におかしいのかもしれませんが、彼らの歌う歌は好きでした。
ブリザードが吹き荒れる夜に石造りの避難小屋の周りを徘徊しているとなかから歌声が聞こえてくるのです。そのメロディーはいま思い返せば音程の外れた下手くそなものでしたが、その切実さはちゃんと伝わってきました。まだシロクマだった頃なので、どんな意味の歌詞だったのかはわかりません。でも、その小屋に避難していた人間は心細さを紛らわすために必死だったのだと思います。歌というものを知ってからは、よく人間に見つからないように基地の周辺など彼らの気配がするところにひっそりと姿を現すようになりました。時にはパートナーを連れて、時には息子も連れ出して。こちらにとっては好都合だったのですが、彼らがよく夜のとばりに歌を歌いだすのは、やっぱり心の内に淋しさを抱えていたからだと、人間として同じ種族に生まれ変わったいまだからわかります。
2125年、東京。ジョン・レノンのイマジンはいまでも愛され歌い継がれているけれど、相変わらず世界からは戦争がなくなることはなくて、国家同士の競争が過熱するたびに海が埋め立てられ森が開拓され続けている。一秒毎に何千の命が失われて、日毎になにかが滅んでいく時代のなかで、ビートルズが来日公演を行って以来ずっと武道館はバンドマンの憧れの聖地として、そこで開催されるライブには特別な思いが込められ続けている。
そのバンドのフロントマンが曲の終わりと同時に拳を突き上げた。眩い照明のなかで逆光のシルエットは力強く、有無を言わせぬ説得力があった。
「かつて僕はシロクマでした」
そう誰も信じないようなことを叫んでいた。
「灯を受け継ぎながら、これからも歌い続けます」
もっと大きな声でそう叫んだ。
九段下駅に向かう人の波は笑顔や泣き顔で溢れていて、それは僕たちも例外ではなかった。歌われた曲やその曲に対する演出について幸福な余韻にお互い浸りながら同伴者が熱を込めて語る。
「最後の曲聴いたら、胸がギュッと締め付けられた」
「拳を突き上げたやつだよね」
「シロクマがなんとかって叫んでた」
「もっと大きい声で受け継いでいくっても叫んでた」
「なにそれ」
「なんだろうね」
「MCは天然なところがあるなー、そこがまた好きなんだけど」
そんなふうに思い出し合って、また笑顔になる。東京湾が近いわけでもないのに潮騒が聞こえたような気がして目を閉じてみる。いまは海になった記憶の底の遠い氷土に思いを馳せた。
かつて僕らはシロクマでした。音楽を愛したシロクマでした。