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蘭郁二郎という作家

 私が蘭郁二郎という作家をなぜ敬愛するのか、今回、これについて記すことにする。
 蘭郁二郎という作家を表現すると「幻の作家」。
 悲しきかな、流行作家であるが故に忘れ去られ、時代という名の砂丘に埋もれてしまった幻の作家なのだ。
 蘭郁二郎という幻の作家、そんな彼と出逢ったきっかけは青空文庫だった。青空文庫という素晴らしい、素晴らしすぎる電子図書館がなければ、私たちは生涯にわたって出逢えなかった。
 ありがとう、青空文庫よ。
 ところで、初めて読んだ蘭の作品は「自○」。
 あのね……タイトルがね……あまりにダイレクト……だけれども、今以上に精神をやられていた私にはそれがドンピシャなタイトルだったんですよ(暴露すると、私は双極性障害を患っています)。
 どんよりと澱んだ心で「自○」をすがるように読んだ。読了後、この作品に心を救われた私がいた。
 蘭の描写力、鬱憤を晴らす結末など、気づいたとき、蘭郁二郎という作家に惹き込まれ、彼について知りたい、彼の作品をもっともっと読みたいと強く思う私がいた。
 以降、蘭の作品を狂ったように読み、青空文庫に収録された彼の作品を全作読破した。
 そして、蘭にますます魅せられた。あの日「私をこんなにも虜にし、虜にする彼以上の作家は現れない」と確信した。
 こう確信したあの日から約数年もの月日が流れ、さまざまな作家の作品を、小酒井不木、牧逸馬やマルキ・ド・サドなどの作品をその間に読んだ。
 が、どれもしっくりこない。恐らくは蘭の作品に見られる、耽美で詩的な描写、その中に潜む静謐な狂気が彼らの作品には不足しているからなのだろう。
 また、三点リーダーからダッシュに至るまで、これを巧みに使いこなす蘭の技術も素晴らしい。
 静かに迫りくる狂気。
 これを美しく、詩的に描写し、三点リーダーとダッシュの技術を駆使して文章に余韻を残す。
 私が求めるものをこうした見事な描写力と技術力で表現できる、表現した蘭。「私をこんなにも虜にし、虜にする彼以上の作家は現れない」というあの日の確信は本物だった。
 蘭郁二郎という作家。
 蘭に魅せられ、彼に惹き込まれた私は今、彼という作家を敬愛している。
 そう、心から。
「ありがとうございます」
 蘭と出逢えたこの世界に心からの感謝を伝えたい。
 閑話休題、小説を書いていて、自分の文体と作風が蘭の文体と作風に近づきつつあることにゾッとしています。彼の影響をモロに受けているんですね、はい。
 さて、蘭の写真を添付し、この記事を締めくくることにします。

蘭郁二郎(蘭の顔と主治医の顔がそっくり。診察を受ける度に意識してしまい、困っている)。

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