【エッセイ】「明日死んでも後悔しない生き方」とか言うけど、普通に明日死んでも何も後悔がない。
“後悔 意味” とGoogle検索してみたところ、後悔”とは「してしまった事について、後から悔やむこと。」らしい。
個人的には「してしまった事」もそうだけど、何かしらの理由をつけてやらなかった事や、絶好の機会を逃してしまった(と感じている)事に、ものすごく後悔をしてしまう。
時間の経過と共に薄れていって、いつの間にか忘れてしまうような後悔もあれば、どういうわけか心の奥底にくっついて、いつまでも離れない後悔もある。
何かをしても、しなくても、後悔がついて回るとしたら、もうどうしようもない話だけど、存在としての “真善美” を磨くには、後悔による苦悩は欠かせないとも思う。
そもそも「明日死んでも後悔しない生き方」なんて有り得るのだろうか?
あったとしたら、あまりにも自我が肥大化しているし、エセスピやポジティブ教みたいで非常にうさんくさい。
自分で言うのも変かも知れないが、割と後悔を重ねてきた人生だと自覚している。
どちらかというと、経験できたこと(得られたこと)を喜ぶよりも、経験できなかったこと(得られなかったこと)を引きずって悔やむタイプの性格だから仕方がない。
だからといって、こんな性格は嫌だから『ポジティブ思考で生きていきたい!』とか『明日死んでも後悔しない生き方をしたい!』などとは、過去に1度も思ったことがない。
だって、普通に明日死んだとしても何も後悔がないから。
以前、ネットに散らばっている「死ぬときに後悔することリスト」を片っ端からチェックしてみたことがあったけれど、『そんなこと後悔する???』と全く共感が持てなかった。
流行り言葉の終活的な作業はとうの昔に終えてしまっているし、財産目録と遺言書も作成済みで、その後も定期的に更新しているのもあって、心残りになるようなものが何もない。
なるほど。
「死ぬときに後悔すること」というよりは「気にかかる可能性のあるもの」として残していく所有物の管理があって、それを財産目録と遺言書の形でクリアにしているのだろう。
財産目録と遺言書を作成している理由は2つあって、ひとつは銀行や証券会社、その他共済関係は何も心配ないのですが、暗号資産(仮想通貨)に関しては国内の取引所を除いて、まず間違いなく回収することができずにそのままになってしまうから。
もうひとつは、個人的にお世話になった方の氏名・住所・連絡先を記載しておきたかったことで、個人的にお世話になった方というのは法定相続人ではありませんので、財産目録と遺言書を残しておかないと遺産をお渡しすることができません。
割と後悔を重ねてきた人生にも関わらず、明日死んでも後悔がない理由の根源としては、当たり前のことですが、死によって重ねてきた後悔も終えることができるからです。
もし、死の淵で生涯を回想する機会に恵まれたなら、するべきことは新たな後悔ではなく、一生涯で積み重ねてきた後悔の重荷をひとつひとつ下ろしていくことであると信じて疑いません。
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以上 –【エッセイ】「明日死んでも後悔しない生き方」とか言うけど、普通に明日死んでも何も後悔がない。– でした。
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