父親と私
うちの父親は八割がた機嫌が悪い
すぐ怒鳴るしいわゆるモラハラの典型的な人である。
昔はそんな父親が苦手だった、十八になってすぐ高校卒業を待たずに家を出た原因の一つだ
でも可愛いところもある、私が家を出て少し経った頃、父親が新車に乗り換えた際ナンバーを私の誕生日にしたのだ。父なりに寂しかったのかもしれない。
そんな父親と完全に和解したのは最近のことだ。
和解の糸口が見えたのは私がてんかんの発作で呼吸が止まった際、パンダが死んで涙する少年がニュースでうつしだされても鼻で笑うような薄情な父が泣いたのだ、そのとき初めて私は父に愛されてるのかもなとおもった。そして、その日以来父は私に怒鳴らなくなった。
そして同年、私はまた死にかけた。一人暮らしの家で酷い鬱と腎盂腎炎になって高熱と寒気、そして全身の痛みに動けなくなって二、三日記憶が無い、連絡が無いのを心配した両親がわざわざ仕事終わり愛知から新宿まで車で迎えにきてくれて、父は一睡も出来ないので頬を自分で打ちながら眠気と戦い愛知まで運転してくれた。不器用なだけで私を愛してくれていることを実感したのはこの時だ。
なんで父親とのことをこういう風に記しているかと言うと今日もまた不機嫌な父だったからだ。パパ〜と呼んだだけで嫌そうな顔をする。でも昔ならこんな状況なら理不尽に怒鳴られていたとおもうけど今は父なりに私との関わり方を努力してくれているので私も歩み寄ろうと思う。人は許しあって繋がっているのかなと最近しみじみ思うし、また無償の愛は私の場合親からしか貰えないなと思う。愛とは信じ待ち許すと私の大好きなアーティストが言っていた。その通り私も信じ待ち許して父と関わって行きたいなと思う。
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