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写真とは「見る」ものであり「見られる」もの

「写真では現実を変えられないと心が空っぽになることもある。それでも、なぜ変えなければならないかという問いを投げかけることはできる」

 JICA広報誌"mundi"オンライン地球ギャラリーでインタビュー動画が公開中。

https://www.youtube.com/watch?v=6TjccljQVVE&t=12s

 1985年、小学校4年のときだ。阪神タイガースが優勝した年なのでよく覚えている。テレビで痩せた子どもの映像を見た。エチオピアの飢餓を伝える番組だった。難民と飢餓、そしてアフリカへの関心はこのとき一緒くたになって自分のなかに飛び込んできた。
 子ども心には、飢餓なんてものは21世紀になれば解決されている問題だと思っていた。月に石を拾いに行ったり、海底ケーブルや衛星回線で世界中の人と繋がれる時代なのに、食料が足りなくて人が死んでしまうなんてことは、自分が大人になるころにはなくなるだろうと。
 それが自分が大人になって、自分の目で飢餓を見ることになるとは、タイガースの帽子をかぶっていた少年は夢にも思わなかった。
 17歳で写真家になると決意する。はじめは戦場写真家になりたいと思った。20歳で武者修行に出ようとブラジルに渡る。そのころにセバスチャン・サルガドの仕事に出合う。アフリカのサヘル地帯(飢餓ベルトと呼ばれる)、世界中の難民を含めた人の移動に関するプロジェクトを知った。人生が変わった。報道写真と人道支援が交わるところに、自分が探究すべきフィールドがあると思ったが、そんな仕事ができる就職先はなかなか見つからなかった。仕事がないならば、自分でつくるしかないと思った。そんな発想から、国境なき医師団やJICA、NGO、国連機関などの組織と連携しながら、写真活動をはじめる。
 一番衝撃を受けたのは、アンゴラでの経験だった。
 毎日のように子どもが死ぬのを目の当たりにした。餓死というより栄養不足による病死。見てしまったことから来るやましさ、うしろめたさ、無力さにとらわれて、逃げられなくなった。
 「なんとかして、助けなくては」と思う。でも、なにができるのか。現場はそんな単純じゃない。そもそも、人を救うとはどういうことか。人をそんな簡単に救えるのか。対象についての知識がないほど、助けなくてはというメッセージは届きやすいが、見るば見るほどその言葉はすんなり入らず、混沌としたものを抱えることになる。
 そんな状態で見る。見てどうなるか。どうにもならないとしても見る。ごめんっていいながら写真を撮る。そうすると見てるのはこちらなのに、見られていると思った。お前は何者だ、何をしているんだと問い詰められ、自分が宙吊りにされる。写真とは「見る」ものだが、「見られる」ものでもあることを痛感する。これが世界とつながるということ、世界に触れるということなんだと思った。
 それからずっと地道に、本当に少しずつだが、長い時間をかけて、世界各地の難民や飢餓の問題が起きている現場に足を運び、写真と言葉で伝えることを続けている。

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