“ 世 界 ”へ の 情 熱 を 与 え て く れ た一枚
写真家として初めての仕事は「国境なき医師団」の取材だった。 エチオピア北部のラリベラに診療所を開き、周縁の無医村で暮らす子どもた ちに栄養改善プログラムを展開する。その活動に同行したのだが、標高3000mを越す高地での移動は、徐々に僕の体力や気力を奪っていった。
疲労困憊の中、村に着くと300人を超える人が医師団の到着を待っていた。その中で子を抱いた男が僕の前で立ち止まる。ファインダー越しに見る顔は凛とした佇まいで、深いしわが過酷な環境に耐えた歳月を物語っていた。眼前に迫るむき出しの生にたじろぎ、「生きたい、生きたい」という声が沈黙の中から肉感を伴って聞こえてくる。
この地で生きる過酷さと、自分の身体的な過酷さが重なったとき、どこまでが自分の疲弊でどこからが世界の疲弊なのか分からなくなった。生への渇望を肌で感じたとき、カメラは僕を “世界”に開かせるための道具だと気付いた。
それから20年余り、今も紛争や飢餓、貧困といった不条理にカメラを向け続けている。「お前は何者だ」「なぜ写真を撮るんだ」という問いを突きつけられ、それでもファインダー越しに見つめ、見つめられ、まなざしを交わす人びとから目を逸らせずにいる。そんな情熱を分け与えてくれたのが、若き日のこの一枚だったと、今になって思う。