チャンスは自分で定義するもの_72日目
「私は◯◯のプロになれるのかか?」「◯◯に向いているのか?」
二十歳前後のころはよく疑問に思っていました。
今思えば、なんでそういう疑問を持っていたかというと、二十歳前後の自分は経験量が圧倒的に少なかったので、何に向いているかが自分ではわからなかったからなんですよね。
だから、人から聞こうとしていた。あなたから見てどうですか、と。
この年になって、今の自分が誰かから冒頭の質問を聴かれたら、
「なろうと思って頑張ればなれるんじゃない?」「向いてるかどうかはやってみなきゃわからないんじゃない?」
という風に答えるしかないと思いました。
そもそもすごいなりたいと思ってるんだったら、誰かにとやかく言われてもなる努力をするだろうし、向いてる向いてないよりなりたくてする努力のほうが結果に対して圧倒的に影響力を持つ。
それを踏まえて、成功するかそうじゃないかは、「チャンス」の捉え方が違うのではないかと思うに至りました。
そのきっかけとして、選考インターンに来ている学生の方とのコミュニケーションで、象徴的な場面がありました。
その場に三名の方がいて、「今日もがんばってくださいね」と声を掛けると、そのうちの二名の方は「ありがとうございます!」と声を掛けてくださいましたが、残りの一名の方は画面とにらめっこしたままでした。
その残りの一名の方とは別の機会でお話する機会があったのですが、「就活はどうやったらうまくいきますか?」「最後のプレゼン以外も選考対象ですか?」など、「どうやったら就活がうまくいくか」「どうやったら選考に通るか」という視点で質問を受けました。
ぼくはこの状況において、「どうやったら選考に通るか」を聞いて熱心に研究する人よりも、ちゃんとあいさつを返してくれる人と一緒に働きたいと思いました。
たぶん、チャンスは「チャンス」っていう顔をして目の前に現れることってないんですよね。
すでに認識されている「チャンス」は、過去の・誰かのチャンスでしかありません。取り巻く環境が変わり、自分自身でさえ変わっている状況で、過去の「チャンス」が今のチャンスなはずがないんですよね。
したがって、出来合いの「チャンス」はもはやチャンスではないから、テンプレート化された「チャンス」を待つのではなく、チャンスの先にある「成し遂げたい」ことから考えて、目の前のことに集中することが大切なのだと思います。そうすると、突然のチャンスにも対応できるようになる。