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やりたいことに生きるのではなく、生きることを表現する

ぼくは大学受験を控えた高校三年生のときから

「自分にしかできないことを仕事にしたい」

そうずっと思ってました。
そしてそれが、自分にとってやりたいことを仕事にするということだった。
でも周りが進路をどんどん決めていくなか、ぼくはまったく決めることができなくて、


今まで好きで続けてるのってサッカーだけやな

そう気づいて、サッカーに関わる仕事(指導者)に就こうと進路を決めました。


でもそれは、

サッカーに関わる仕事=やりたいこと


ていうわけではなくて、



サッカーに関わることで、自分にしかできないことをしてると感じたい

ていうことだったんですね。
だからこそ、進学後にサッカーで挫折した後、逃げるように就活をしてサッカーから離れました。


ぼくはきっと、ずっと、

やりたいことを見つけたいわけじゃなくて、
やりたいことを見つけてる自分になりたかったんです。
自分にしかできないことで、自分にしか出せない価値を発揮している自分になりたかったんです。


やりたいことなんて、なくたってよかった


やりたいことが見つかることで、手に入ると思い込んでいただけだった。


なにか一つのものにこだわらなくても、いまこうして
自分にしか出せない価値を、
自分だけの言葉で、文章で、発揮することができてる



ぼくは年の離れた四人兄弟の末っ子で、
家のなかでは常にいじられる存在でした。それはそれは可愛がってもらってました。笑
そうして受動的に人と接していくなかで、
両親の関係や兄の思春期など、自然に空気を読む力を身につけた。

外でも、
すぐにキレる友だちに対しては自分の意見を抑えたり、
小学校高学年以降は、先生に対してもイエスマンでした。


次第に、多くの物事にたいして意見がなくなって、

「どっちでもいい」

ものばかりになりました。


それでも

自分を表現する

ということに対する気持ちは消えなくて、


想いを発する

場所を無意識に求めていた。
そしてそれは自然に自分のノートに向かってました。


高校生のときに

「やりたいことない。強いていうなら作家ぐらい。将来どんなに極貧でもいいからやりたいことしてたい」

ってノートに書いたのは、
そのときから、抑えている想いを放出する場所を探して求めていたからかもしれない。
(このときの作家のイメージは小説家。小説なんか読んだこともなかったのに笑)


いまぼくは、
自分自身を表現したいと思っていて。

普段しているメンタルトレーニングも、
情報発信も、

自分自身の世界観を、想いを、
受け取ってくれる人に寄り添っていたい、という気持ちがあります。



やりたいことをなにかひとつに絞れなかったぼくのモヤモヤは、
自分の想いをそのまま表現することに行きついてくれました。


そしてそれによって、
だれかのココロを動かしたい。
だれかの想いをカタチにしてあげたい。
いっしょに抑えているモノを、素直に表現できる世界を生きてほしい。

読んでくれてありがとうございます。 この文章が少しでもあなたの人生に寄り添えていたら、嬉しいです。