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春の陽気と、今と、書くこと
近所で開かれたマルシェに行ってきた。
春の陽気と山、芝生の広場。
「この町に来て良かった」と、この町に来てからいちばんはっきりと思う瞬間だった。
どこを見ても新緑と青空が広がっていて、鮮やかな春の色をいくらでも身体に取り入れることができる。
山を彩る木は、落ち着いた濃い緑と今生まれたばかりのような鮮やかな緑が、なんの規則性もなく混ざり合う。針葉樹と広葉樹。その中で時折混ざるピンクは、桜かな。
寒暖差が大きい山地の影響で、夜になったら肌寒くなるんだろうけど。今これだけ春を吸い込めるなら何も言うことがない。
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ぼくの理想の将来や夢なんてものは、きっと簡単に変わってしまう。
マルシェで春を味わえたら。都会の街に触れたら。SNSでの情報に刺激されたら。
なにかのきっかけで簡単に、あっさりと、昨日のぼくは裏切られる。
そんなことを繰り返しているうちに、自分の進む方向が分からなくなって将来が不安になったり、現状が嫌になったりもするんだけど。
けっきょくぼくには、自分が経験する今を大事に味わうことしかできないのかもしれない。
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最近、「なんで文章を書いているんだろう」なんて考えることがある。
だれかに評価されるためとか、みんなにスゴイと言ってもらうためとか、いつか雑誌や本に載るような文章を書きたいとか。まあいろんな浅はかな想いはあるんだけど。
何年間も、だれに見られなくても、そしてだれにも見せないものを書き続けてきたのは、『自分自身と向き合うため』だった。
きちんと考え続けたい。人生に答えが無いなんてことは分かっている。
その答えが無いなかでも、だれとも完全に分かり合うことができなくても、自分なりに考え続ける。それを実体の伴う、自分自身とだれかに伝えることのできる『言葉』として行う。
それが、ぼくにとって『地に足をつけて生きる』ということだった。
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Twitterやnoteで表明されるだれかの言葉。
ぼくの心が動いて「いいね」を伝えても、数分後には新しい言葉がそれに入れ替わる。
次に「いいね」を押したとき、数分前ぼくの心を揺さぶったあの言葉は、もう言葉の山に埋もれて見つからない。
きっとぼくがこれから表明して紡いでいく言葉も、そのほとんどが同じ運命を辿るんだと思う。
でも、それでも良い気がしている。
山の中に埋もれてしまっても、それはぼくが考え続けようともがいた証拠で、ぼくの心を揺さぶった事実は無くならない。
だからこそ、きちんと書きたい。
カッコつけたり、だれかの目を気にするんじゃなくて。自分が考えたことを、自分の言葉で書きたい。それがいちばん難しかったりするんだけど。
これからのことばかり気にして、味わえなかった今がたくさんある。
空気を読むことばかり大事にして、吐き出せなかった言葉がたくさんある。
それを、今この行為に詰め込もうとしている。
不確かなこれからも、遠くへ行ってしまったこれまでも。
それらは今を彩るひとつのきっかけに過ぎない。無視するわけでも、蔑ろにするわけでもなく。大事に、やさしく。自分に合った形で今に取り込んでいく。
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