もう一歩、自分にとっての『良い場所』に近づいてみる
白川町に来て5ヶ月が経った。
「もう半年だね」とよく言われるけど、まだ5ヶ月。
半年とか1年とか、区切りが良いタイミングが近いとなんでもかんでも四捨五入してそこに含まれてしまうのは、なんだか寂しい。
「半年経って、移住生活どう?」
この質問に、うまく答えることができない。
都市部から田舎に移ったからって、人生が変わるわけじゃない。
毎日決められた時間に職場に行って、室内でパソコンをカタカタして、チャイムが鳴ったら帰る。
大阪にいたころと同じような仕事時間を終えたら、夕食の食材をスーパーかドラッグストアで買って帰る。
田舎にしかないスーパーは質が良いけどちょっと割高で、岐阜中にあるドラッグストアは値段は安いけど食材の質が悪い。一長一短。
なんでもそう。良い部分もあるし、悪い部分もある。
最近思うのは『その良い部分にもう少し近づいてみよう』ということ。
知り合いが管理する棚田での田植えを手伝った日曜日。作業をしながらぼんやりと「今日ここに来て良かった」と思った。
泥と稲に触れ、おたまじゃくしが裸足にあたる。
作業が終わるとみんなでコンクリートに座ってお喋りをして、子供たちは芋虫を触って遊んでる。
足の力が抜けて重たい。首回りがヒリヒリし始めている。身体は疲れているのに、気持ちが良い。
今までいなかった場所に少し近づいた気がした。そこは思っていたよりも良い場所だった。時間が横にぐーっと引き伸ばされたみたいな空間。社交辞令ではなく「また来ます」と言ってぼくは帰った。
そうやって一歩、もう一歩、自分にとっての良い部分に近づいてみると、悪い部分は見えなくなっている。
「田舎は人が良いけれど、その人付き合いで疲れる」と思う時はきっと、表面的な付き合いしかできていないからかもしれない。
なんでもそう。良い部分もあるし、悪い部分もある。
でもそれは、どこか中立的なポジションを取った人間の台詞なのかもしれない。今のぼくのように。
自分なりの生き方がある人は、”周りから見れば悪い部分”も許容して進んでいく。自分なりの『良い』に近づいていくと『悪い』が気にならなくなっていくことを知っているんだと思う。
ぼくはこの町に、自分なりの生き方を探しに来た。
書いて、考えて、自分なりにゆっくりと穏やかに、自由な時間を感じられるように。
その基準に照らし合わせながら、良い部分にもう一歩近づいてみたい。
遠くから見えるモノだけで一長一短を考えていたら、きっといつまでも前に進めない。職場の窓から見える山は、遠すぎて自分を癒してくれる実感が湧かない。
少し近づいてみる。そうするとまた新しい一長一短が見えてくる。その繰り返し。ちょっとずつ、良いほうへ。
いつでも、いつまでも、自分の人生の当事者でいたい。