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書くことは、生きることに自覚的になること
ずっと書くことを仕事にしたかった。
そうすることで、真剣に生きることができると思っていた。
だらだらSNSから情報を受け取って、将来に不安になって、今を蔑ろにする。
定期的に「これからどうしよう?自分は何をしたいんだろう?」なんて考えてる。
どこにも自分の軸がないような気がした。強い風が吹くとふわっと飛んでしまう。そして偶然着地した場所で「ここで頑張ろう!」と意気込んで、また少し時間が経てば強い風が吹く。
その繰り返し。そんな自分が嫌だった。
言葉と真剣に向き合い、言葉を紡ぐこと。それは自分自身のことを、相手のことを真剣に考えることだと思っていた。
その先に、ぼくが求めていた自分の軸のようなものが見つかるんじゃないかと思っていた。
*
でも、それは違う。
「書くことを仕事にする」ということは、
与えられたタスクを”書くという作業”を通して完了させるという行為なだけだ。そこにぼくの姿勢は含まれていない。
だからこそきっと、いつだって「書くことを仕事にしたいと思った目的」を思い出さないといけないんだと思う。
ぼくは、きちんと生きたい。生きることに自覚的になりたい。
自分が何を考えているのか、何を感じているのか、どういった時間を過ごしているのか、今何をしているのか。
そういったあらゆることに自覚的になって、自分自身で人生の選択を繰り返していきたい。
書くことは、その手段でしかない。
自分(あるいは相手)の考えや感情を把握する、手段。
書くために書いていたら、きっといつまで経っても求めている生き方にはたどり着かない。
*
「この仕事は向いていないんじゃないか」
と思うことがあった。
もっと安定的な職業に就いて、空いた時間で「書くこと」を続けたほうが良いんじゃないかって。
でもある人の取材記事を読んだら、自分も書きたいと思った。素直に「こんな記事を自分も書きたい」と思った。
取材対象者の人間味が、すべての文字から伝わってくるみたいだった。
書きたい。
別に書くことがゴールじゃない。
これはただの文章でしかない。文章はたくさんのものを紛れ込ませることができる。簡単に自分の感情に嘘をつくことができるし、綺麗に着飾ることができる。
それでも、あんな文章を書きたい。
そのために真剣に生きたい。自分の、相手の、「生きるということ」に自覚的になりたい。
きっと書くということは、その人の生きる姿勢と繋がっていくんだと思う。
雑な生き方をしていると、文章までもなんだか濁ってしまう。それはとても感覚的なものであり、だからこそそこに自覚的にならないといけない。
数年後、自分がどういったことを仕事にしているかは分からない。
「お金を稼ぐこと」と、ぼくが思う「生きることに自覚的になる」は必ずしもイコールじゃない。
でもどこかで、その二つの円が重なる行為を続けていたい。
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