No.135 「天」赤木葬式編雑感
0. はじめに
絶不調の昨日より幾分気分が良くなったこと, 今日が赤木しげるの命日であることを思い出したこと, 何気にコレについて書いたことがなかったこと等々から, かなり今更だが, コレについての雑感を書く. 当然ネタバレ全開なので, 万一未読者がいたら, 全盛期の福本伸行が到達した究極の境地なので, こればかりは流石に「天」の16, 17, 18巻(ここだけ読めば十分)を読んでから, この雑文を読んで欲しい.
これに関しては, もう20年以上色んな人が色んな文脈で取り上げてきたので, 今更私がとりたてて新しいことを書ける余地はない. それゆえに本当に個人的な雑感, 印象を主につらつら書いてみる(ただし, 書き出すと恐らく「無限」に書けるのでかなり「禁欲」する). ただ一点, 「僧我」からの「赤木論」を論じている人は少ない気がするので, そこは敢えて強調しておいた.
1. 個人的体験と影響
この話を知っている人達は, その人生観, 死生観, 価値観, 運命論等々への影響をみな口にするが, ひねくれ者の私でもその御多分に埋もれなかった. そもそも
『「赤木しげる」とは, ある種のヒネクレ者や無頼漢達の「理想の幻影」』
であり, いわば
『ハズレながらも, 真っ当でありたい(福本伸行自身の言葉を借りれば, 「悪党だが, 卑しくない(卑しくない悪党)」ということ)』
という人間達の範例なのだ. そりゃあ, ある種のヒネクレ者であるほど, その影響を受けるはずで, 私自身も陰に陽に自身の人生哲学の形成に影響を受けている. 実際, いつぞやの無名人インタビュー
https://note.com/unknowninterview/n/n93b995b17a25
を見返してみてもそれは明らかである. というより「明らか」だと今気付いたくらいであり, もはやそれらが元々「天」が由来であったことさえ意識できないほどに自身に沁み込んでしまっている. これは初めて読んだ時期も19という結構絶妙な時期(恐らくは成人直前の最も多感だった時)であったことも大きい. だからこそこれほどまでの影響をもたらしたわけで, 恐らくはこれよりはやくても, 遅くてもこうはならなかったような気がする.
これらの話の中で人がよく口にするのは, 恐らく
『人生の実は…ただ生きることの中に…!』
や
『たぶん…愛していた…無念を…!』
等々なのだろうが, ヒネクレた「なんちゃって無頼漢」の私は少し違う.
たとえば前者はこの発言そのものよりも, これを受けての原田の補足
『そういう話を… 青くさいとか… 今さらとか… いろいろケチをつける事は出来るが…
じゃあ… 代わりに何があるのかといったら… たぶん…
何もない…!
おそらくはそこらへんで… 決着がついてるんだろう… その手の問答は…!』
の方に感銘を受けた. 何故ならばこれは『人生の実は…』以外の名言にも通じる普遍的な思想だからである. 私が「思想」を「有用な作業仮説」として重視しながらも, 過度な哲学偏重をしなくなった(そこへの執着は綺麗に捨てた)根源は恐らくココにある. 陽明学やら, 武士道やらをそれなりに知っていればこの程度は当たり前の素養だったのだろうが(一応, 新渡戸稲造は読んでいたはずなので当時の私も素養としては知っていたはずだが), 無頼漢気取りの私が二十歳前にこの「思想」を, こういう形で知れたことは非常に大きかったと思う.
後者の「無念を愛していた」は, 赤木の名言として挙げられることが多いと思うが, 私は正直これは言い過ぎに感じる(つまりどことなく飾った感じがする). これよりむしろその前の「無念」以外フレーズ
『思うようにいかねぇことばかりじゃねえか…
生きるってことは…!
不本意の連続…
時には全く理不尽な…
ひどい仕打ちだってある…!
けどよ… たぶん… それでいいんだな…
中略 (ここが『無念が「願い」を光らせる』)
嫌いじゃなかった…
何か「願い」を持つこと
同時に今ある現実と合意すること…!
不本意と仲良くすること…
そんな生き方が好きだった…』
の言い回しの方が個人的にはしっくりくる. 実際, 「愛していた」というのは言い過ぎで, 「好きだった」くらいの距離感がちょうどいいと感じる人も多いのではないか. 実際, 私が折に触れて意識するのもこちらの方で, 俗に言う
『折り合いをつける』
というモノの非常に詩的な言い回しと言ってよいだろう.
2. 「僧我」からの「赤木論」
そんなこんなで語りだすとキリがないので, 今回の note を書こうと思った本命である『「僧我」からの「赤木論」』を手短に述べてみる. この赤木葬式編はどうしても``ひろゆき''(と関連して原田や天)関連の話題に目が行きがちで, 僧我は意外と注目されていない気がするが, 個人的に一番印象的だったのは実は僧我とのやりとりであった. 何故かというと, 初めてコレを読んだ時, 僧我のところで
『ああ, 赤木は助からないんだ』
とわかってしまったからである. それは無論, あのナインが, まるで「天」が(主人公の``天貴史''ではなく道教の「天」)赤木に「死んでいい」と言っているように感じたことが最大の理由だが, それに加えて僧我の
『
見ろっ…!
こんなことってあるか?
これは万分の一でもきかない… 出来事…!
…こんなこと… 他の誰にも理解できない…
おどれだけの世界やっ…!
』
からの
『
赤木…
おどれ… 死んでいいわっ…!
』
も非常に大きい. 何故ならば, 私も全く同じことを思ったからである. 「これはもう死んでいいな…」と.
その後の外に出てからの世話人とのやりとりも, 非常に印象的だが, 中でも最も心に残っているのは
『
しかし… 綺麗やったな… さっきのは…!
まばゆいばかりの光が連なって…
まるで天の川のようやった…!
』
という赤木(の才能)への賛美である. 「天の川」を観たことがある人ならわかるだろうが, 「天の川」は人が多くいる街中では観ることができない. それを観ることができるのは, 人が居ない真っ暗闇の中なのである. そして真っ暗闇の中にあっては, 天の川のなんと眩く壮大な事か. 「闇, 深淵を生きる無頼漢達にとって赤木とはそのような存在であった」という比喩として, 「天の川」という言葉を用いたことに甚く感銘を受けた. そしてまた
『「天の川」のような大きな存在, 光を観るには, しばし「人里」を離れねばならぬ(「本物」は闇に, 深淵に潜む)』
ということもそこで学んだ(人の行く 裏に道あり 花の山). おかげでその後の人生で幾度か「天の川」を観ることができたと思う. それは
『
そんなおどれと鎬が削れたわしは… 幸せやった…
めぐりあえてラッキーやった…
もうお目にかかれんわ… おどれみたいな男には…!
』
に通じるものがある気がする.
考えてみれば, あの集められた東西戦の7人のメンツの中で赤木に「死んでいい」と言ったのは, 唯一僧我だけなのである(描写のない健も, 鷲尾も恐らく言っていない). そして何より, あの中で最も赤木に近かった男こそ(天でも原田でもなく)僧我であり(次いで銀次. 実際, 「死んでいい」とまで行かずとも銀次も近いことを言っている), また赤木しげるの文字通り生涯最後の勝負の相手にもなったのだ. その僧我が, あの万感の思いで, あのセリフを口にした時に, 物語の結末が私には見えてしまった. それほど印象的なやりとりだったのである. そしてそうであるがゆえ, 僧我との一連のやりとりこそが赤木しげるを最も的確に捉えており,
『本来「赤木論」を語るうえで最も重要視すべきなのは実は僧我である』
と私が考える理由がここにある.
語り尽くされてきた赤木葬式編をめぐる「赤木論」も, この辺をもう少し詳細に突っ込んでみる余地があるように思い, 今回今更ながらこういう形で note にまとめた次第である.