ウィズコロナ~さらばマスク美人~
僕は喪失感にうちひしがれている。
2016年からの三年間、男子校という女性と無縁のし烈な環境で過ごした身。
年頃の女性がうやうやいる大学という場へ抱いた期待はただならぬものだった。
高校時代から、大学に対する期待は徐々に高まっていた。
放課後に通っていた予備校には、大学生のバイトからなるチューターと呼ばれる人たちがいた。
予備校講師による衛星授業を聞いて、分からない所があればチューターに聞くのだが、彼らは所詮アルバイトであるため大して役には立たなかった。
僕にとって、彼らの存在は受験勉強のサポートというより、むしろ忘れてしまった女性との話し方を思い出させてくれる機会でしかなかった。
僕が通っていた予備校にいたバイトの大学生は、有名私立大学の人が多かったが、男性よりも女性がやや多いというバランスだった。
当時の僕にとって、現役女子大生と他愛のない会話をできる機会は当然ここだけであり「推し」の学生がいた際のモチベーションの高まりはただならぬものだった。
今でも覚えているが、W大の茶髪のお姉さんや、M大の愛嬌あるお姉さん、R大のクールビューティーお姉さんなど、様々なタイプの女性がいて、男子校という身で不遇の時を過ごした僕にとっては楽園のような場所だった。
特にI大の、たまにしかシフトに入らない黒髪お姉さんがシフトにいた際には、聞かなくても良いところを質問したり少しでも会話しようとしていた。
そんな気持ちの悪い受験生時代を送ったこともあり、大学一年生だった2019年は当たり前のように女性がいる毎日というだけで楽しかった。
サークルや授業で当たり前のように女性と話せる。僕にとってそれが大学生活のうまみの全てであった。
特にかわいい女の子と話している時間は、冷静沈着ぶりに定評がある僕でも頭の中がお花畑になっていた。
かわいい女の子が笑えば、つられて僕も笑ってしまうし、いくら会話が盛り上がりに欠けてもかわいい子と話してる。それだけで楽しかったのだ。
そのため、2020年からの3年間にわたるコロナ生活は、僕が大学生活で得たうまみが全て損なわれていったような気がする。
他愛のない会話を女の子とする機会はめっきり減った。
部活動は思うようにできなくなり、大学で送るはずだった時間が家の中だけで完結する毎日。
ようやく、最近になってキャンパスに行けるようになったが見渡す限り同じような髪型、アイメイク、マスク姿の彼女たちは、僕が大学生活で望んでいたものではなかった。
誰がかわいい子なのかも分からなければ、四年生となったことで今さら交遊関係を広げる気にもなれず、傍目で輝く後輩女子大生を眺めるだけに終始する。
大学一年生のときは確かに楽しかったはずなのに、2020年と2021年の二年間で生まれた断絶があまりに大きかった。
かつてはマスク美人という言葉もあったが、今となってはみながマスク美人。
かわいく見える子ばかりのなかでは、かわいい子を探す行為は虚しくもあるし途方にも暮れる。
彼女たちがマスクを外す瞬間は、喉を潤したりする際のほんの3秒間。
僕の集中力をその3秒間に集約させるのはあまりに馬鹿げているし、そこまでしてかわいい子を眺めていたい訳でもない。
一様にかわいらしい彼女たちを前に、僕は好奇心というものが欠如しつつある。
マスクという一枚の布切れが、僕から生きる楽しみを奪っていったと言っても過言ではない。
僕にとって、誰しもがマスクをしている光景はあまりに殺風景で退屈なものだ。
まるで僕以外、全員アンドロイドなのではないかと思うぐらい見た目や雰囲気が同じような女子大生たちが今日も目の前を歩く。
彼女たちの顔を一時も視界に入れず、僕は目的地だけのことを考えて歩く。
人に対する興味が、顔が見えないだけでここまで失われるとは思わなかったが、今日もバイト先へ向かうために歩く。
人への興味が薄れているのだから、本当はバイトをすることも苦痛だが、最低限の交流は保っていないといよいよ人として終わってしまう危機感がある。
それだけに僕は、いつかまた訪れるであろうマスクのない世界までは前を向いて歩き続けなければならないのだ。
もう一度、マスク美人という言葉が意味を成す世界の到来を夢見て。