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「猫を探す」

ある日。家のネコたちが2匹、いなくなりました。黒茶のキジトラ猫。黒白毛の猫。ネコたちの写真を眺めて、いなくなった日のことを思い返しています。

ネコが帰ってこなくて、わたしはすぐに、迷い猫を探す知らせ紙を作って、家の同心円状の500m範囲に配り歩きました。4箇月のあいだ、知らせ紙を3回、配って、そうして様子をみたけれど、ネコたちは見つかりませんでした。保健所や清掃局にも、届けはありませんでした。

家から100mと少し行ったところに、昔馴染みの小母おばちゃんがクリーニング店をしています。クリーニング店は、地域の資源物収集広場の敷地にあって、小母ちゃんは、その広場の管理や収集の手伝いもしています。

小母ちゃんはクリーニング店の店先に、迷い猫の知らせ紙を貼ってくれたり、集まる地域の人たちに心当たりはないか、聞いてくれました。それでも、家のネコたちを見たという人はいませんでした。

同心円状の東西南北には、猫を外飼いしていたり、保護している人もいます。でも、そうした猫好きさんたちのところにも、家のネコたちは来ませんでした。

動物は人間と違って、自分から死のうなんて考えないから、外を歩く猫を見かければ、その後をついて行って、回り回って、ゴハンを食べられる場所に辿り着いて、生きようとして周辺に居着きます。それでも、家のネコたちは、どこにも現れませんでした。

その4箇月のあいだ、知らせ紙を見て、ネコたちのことで電話してくれた人がいました。10件くらい、連絡がありました。わたしの知らないところでも、気にかけて探してくれた人がいて、みんなで探して見つからなかったのだから、これがネコたちとの別れであっても、もう、仕方がない、そう思えました。

7年のあいだ、遠くへ行くこともなくて、怖がりで臆病だから誰かについて行くこともなくて、そんなネコたちが姿を見せずに帰ってこないということは、いなくなってすぐの日に、なんだか、体調が悪くなって、人の目に触れない場所に隠れて、そのまま眠って、死んでいったのかもしれません。本当のところは誰にもわからないことだけれど、なんとなく、そんな気がしています。

探す、ということをしなかったら、一緒に探してくれた人たちがいなかったら、そんなふうに想像することもできなくて、いっそう、辛かったと思います。ネコたちをそば看取みとることができなかったけれど、探して、探し歩いたことで、時間や距離を越えて、気持ちはあの子たちの傍に行くことができたかもしれない、そんなふうにも思っています。

生き物の最期は、どうしたって、苦しくさみしいものになる。苦しく淋しい最期になることは、生き物にとって、決まり事なのだと思います。だから、あの子たちも、きっと、苦しくて淋しい最期だったと思います。悲しいけれど、それは仕方のないことだとも思います。

その苦しくて淋しい終わりのときまで、どんなふうに生きたのか。どんな記憶があって、どんな思い出に包まれて、眠りについたのか。生き物は、思い出に看取られて死んでいく。

わたしは、わたしなりに、あの子たちのことを大切にしてきたと思っています。できるだけ、あの子たちらしく、毎日を思うまま、過ごせるように。あの子たちが眠りのなかで、わたしとの日々を思い出して、

「野良生活とか、わずらいとか、タイヘンな猫人生だったけれど、とにかく、生きたニャ。ニンゲンっていうのも、捨てたモンじゃなかったニャ。にゃにゃ」

そんなふうに思ってくれたら。思ってくれたらと、わたしは願っているよ。

さようなら。ねこ丸。ねこヤン。

-オワリ-   文・写真/スカーラ主人

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