「生まれた意味を知れば、人は一瞬で変われる」産婦人科医 池川明先生に教えてもらった子育ての極意
(1)池川明先生との出会い
私たち夫婦の2人の子どもたちは、横浜にある産婦人科「池川クリニック」で生まれた。
院長の池川明先生といえば、「胎内記憶」と「前世記憶」の研究の第一人者だ。これまで出産に関わった子どもたちの多くが、生まれる前の記憶を持っていたことに注目して、次のようなことを研究している。
そのため、子育てについて、次のように考える。
多くの親は、子育てをしながら「子どもを幸せにしなきゃ」と思って過ごすことが多い。しかし、赤ちゃんは家族を喜ばせようとこの世に生まれてくるのだから、子どもが本当に嬉しいのは、自分の家族が笑顔でいてくれること。親は子どもと一緒に楽しい時間を過ごすことを考えればいいのだ、と。
そんな池川先生のクリニックで診てもらえることになったのは、妻が妊娠中に、長男が逆子だったことがきっかけだった。
「もともと出産予定だった病院だと、逆子なら帝王切開になります、以上、っていう感じで、どこか冷たい印象だった。そんなときに池川クリニックを紹介してもらって、はじめて先生と話をしたときに、すごく温かい印象で、ほっとした」
ジーパンにTシャツ姿の池川先生は、いつも笑顔で優しい雰囲気だったと妻は話す。
そして、これまで悩んでいた逆子のことにも一緒に向き合ってくれた。
「池川先生が私のお腹をなでながら、赤ちゃんにたくさん話をしてくれた。逆子にはきっと理由があるんだよね、逆子の体勢が楽だとか、あるいは、僕のことをもっと見て、ってお願いしていることもある。だから、子どもといっぱい会話しながらやっていきましょう、って」
出産の2ヶ月前、逆子の位置をぐるっと180度回転させる「大回転術」を行うことになった。元に戻る確率は60%くらい。しかも、場合によっては胎盤が剥がれてしまう可能性もあった。でも、池川先生とお腹の中にいる赤ちゃんを信じて、お願いした。
そして、無事に成功した。素直に回転してくれたね、って赤ちゃんをいっぱい褒めてくれたことが嬉しかった。
横浜に里帰りしていたちょうどこの時、妻は、お父さんとの関係でギクシャクしていたという。大学を卒業して、就職を機に家を離れて以来の久しぶりの実家での生活。父親のリズムと、大人になってからの自分のリズムや考え方にズレを感じ、イライラすることが続いていた。
出産予定日の1ヶ月前になり、妻は私が暮らす新潟に一度帰ってもいいかどうか、池川先生に相談をした。無理をしたらダメ、って言われると思っていたら、先生は帰ってもいいよと言う。
「帰ってもいいよ。でも、その前に一つだけ。自分のお父さんに、「私が生まれたとき幸せだった?」って質問してから帰りましょうね」
そもそも恥ずかしいし、そんなことは聞けないと思った。
でも信頼していた池川先生の言葉の通り、妻はお父さんに尋ねた。
新潟に戻ることに決め、父親が最寄り駅まで車で送ってくれたときだった。
「…ねえ、パパ。私が生まれたとき、幸せだった?」
どんな答えが返ってくるか、その時はまったく考えていなかった。
でも父親がくれたその答えは、いま思えば予想通りだったと思う。
「当たり前だろ。なんでそんなことを聞くんだよ?」
その瞬間、いろいろなことを思い出した。実家で農家を営んでいる父親は、いつも家にいてくれて、高校から大学まで、嫌な顔ひとつせずに車で送り迎えをしてくれたこと。夏の暑い日も、蜂に刺されたり、脚立から落ちて骨折しちゃったり、大変なこともたくさんあったけど、いつも子ども達のことを可愛がってくれたこと。
そして数日間、新潟で過ごした後、再び新たな気持ちで横浜に戻り、無事に出産を迎えることができた。
(2)出産後の胎話士さんとの会話
池川先生のクリニックでは、赤ちゃんが考えていることを通訳してくれる「胎話士さん」との時間を作ってくれた。私たち夫婦も、長男が誕生してちょうど3日目に、胎話士さんと過ごした時間があった。
最初に胎話士さんは、長男が自分自身の名前を気に入っている、という話をしてくれた。特に名前の漢字は僕がリクエストしたんだよって言っています、と教えてくれた。
ふと胎話士さんから、「これからどんなお父さんになりたいですか?」と質問された。
父親になって3日目。まだきちんとした心構えもできていなかった。
それでも、そのとき私なりに考えて、
「だめなことはだめだって、ちゃんと注意してあげられるような父親になりたい」というような話をしたら、意外な答えが返ってきた。
「自分から怒られようと思って行動する子どもはいないですよ。子どもが電車の中で泣いたり、ぐずったりすることに対して、もっと寛容な社会になって欲しいなって思います。だから、パパは子どもにたくさんわがままをさせてあげて、そして近くで守ってあげてくださいね」
そのようなことを言われて、私は気がついた。
そうか、無理に背伸びをしてパパになろうとしなくてもいいんだ。
自分は自分でこれまで通り。それでも子どもの一番の味方でいてあげればいいんだ、と。
「それとね…」
と胎話士さんは長男の顔をじーっと見ながら、こう続けた。
「この子は、『パパと遊ぶために生まれてきたんだよ』って言っていますよ」
この言葉を聞いたとき、ああ、たとえ嘘でもいい。
嘘でもいいから、私はこの子といっぱい遊んであげたいと思った。
そして、それから10年経った今もなお、また2人目の娘が生まれてからも、子どもたちと遊ぶこと、一緒に過ごす時間を大切に思ってここまで来ることができた。
いつか息子に話をしたことがある。
「キミはね、生まれたばっかりの赤ちゃんのとき、パパと遊ぶために生まれてきたって言ってくれたんだよ。」
池川先生に取り上げてもらった君のことだ。胎内記憶と前世記憶、覚えているだろうか。息子は、「へー、そうなんだ」って嬉しそうに笑っている。
忘れてしまっていても、もういい。
でもパパは君が言ってくれたことを、ずっと忘れないよ。
そして、赤ちゃんはパパとママを喜ばせるために生まれてくる、という池川先生の研究も信じて、これからも、君と妹とママと一緒に笑顔で過ごしていきたいと思っている。
そんな気持ちを教えてくれた、池川先生や胎話士さんとの偶然の出会いに感謝している。