「書く習慣」1ヶ月チャレンジ25日目:今日1日にあった感謝したいこと
近所に、かかりつけの耳鼻科がある。
毎年、春と秋、花粉症の季節になると通っている。
(1)近所の耳鼻科
開業して30年とも40年とも噂される先生は、とても優しく、症状をいつも丁寧に説明してくれる。
長い間付き合ってきた花粉症。これまでは薬を飲んでごまかしているくらいだったが、こちらの先生に出会ってからは、その丁寧な治療を信じて、通うようになった。
(2)流れるようなテンポのよい治療
先生はいつも同じ流れで診療する。
まずは鼻から。
細長い棒の先端に、薬の染みこんだ脱脂綿がついている。
これを両方の鼻の穴にぐっ、と入れる。瞬間ツンとした痛みが背筋に走る。これを、10秒後に抜き取る。抜き取るときにも緊張が走る。むしろ抜き取るときに痛いようなくすぐったいような不思議な感覚になる。これは体験した人しかわからないと思う。次に特殊な機械をやはり鼻の穴に入れて、薬をスプレー噴射する。これも少し痛い。
続いて、口を見てもらう。
「はい、べーっ」、と先生に言われるがままに舌を伸ばして「べーっ」と声を出す。
喉の奥にスプレーで噴射される。そのまま舌を引っ張られ、喉の奥に薬をかけられる。痛くはないが、少ししょっぱい。
この一連の動きを、何年も続けてきたのだろう。お見事、としか言いようがないほどのテンポの良さで進んでいく。
先生の診察が終わると、別のマシンに移動。チューブから出てくる煙を鼻の穴に入れる。これを5分くらいやって終了。
「はい、また1週間後です」
次の来院を約束して、医院を後にする。
スムーズな流れで治療し、いろいろな薬品と、最後はマシンも使用してくれるので、毎回来て良かったな、という気持ちにさせてくれる。ありがたいな、と思う。
(3)子どもは耳鼻科が怖い?
しかし、小さい子どもはそうは思わないようで…。
たとえば我が家の子ども達は、こちらの耳鼻科を心の底から恐れている。
のちに、「地震・雷・火事・耳鼻科」という言葉が生まれたほど、恐れている。
聞くと、脱脂綿の棒を鼻に入れるのが、とにかく恐怖らしい。
確かに先生は、子どもだろうと一切容赦しない。大人と同じサイズの棒を子どもの鼻の穴に入れる様子を見ると、小さい鼻に対してさすがに長すぎるのではと、心配してしまうほどだ。
「父ちゃん、ぼくちょっと風邪っぽいかも。」
「あら、鼻水も出てる?耳鼻科で見てもらおうか。」
「………いや、治った!学校行く。」
こんな具合である。
風邪で耳鼻科に連行され、脱脂綿がついたあの長い棒を鼻の穴に入れられるくらいなら、学校に行った方がいいらしい。
それでも、こちらの耳鼻科に子どもを連れて訪れる親御さんは後を断たない。
窓ガラスが割れるんじゃないかと思われるくらいにギャン泣きする子ども。
診察台に乗ってママに抱っこされながら、「いやだ~」「痛い~」と泣き叫ぶ。
先生は、淡々と診察を進める。泣いているからと言って、棒を手前まで入れて終わりにしよう、などといった妥協はなし。だからこそ信頼できる。心を鬼にしてきっちりと自分の仕事をしてくれるところに本当の優しさを感じる。
これだけ子どもに恐れられ、そして親御さんに信頼されている先生を、すごいと思う。
(4)いつか気づくときがくる
先日、突然耳が痛くなり、耳鼻科を訪れた。待合室から、小さい子が叫び声が聞こえてくる。
「がんばれ」と心の中で声援を送った。
いつか、君が大きくなったときに、いまは鬼のように見える先生へ、感謝できるときがやって来るぞ。
そして、そのときに知るんだ。本当の優しさは厳しさの中に宿っていることを。人に煙たがられても自分の信念を貫く芯の強さを持つことが必要だっていうことを。
それまでは、ママに抱っこされながら、がんばって治療を続けろ。
診察室から涙目の子どもがママと手を繫いで歩いてくる。
さあ、次は私の番だ。立ち上がり、静かに一歩踏み出した。