病気の思い出
note170日目。
今日は子どものころの病気の思い出について。
今、私は実家にいて熱を出している。
となると子どものケアと看病は母がすることになる。
普通なら具合悪くなったのが実家にいるときで良かったね、となると思うのだが、わが家はちょっと違う。
病気の時はしっかり食べた方がいいと思っている母が運んでくる食事は、38度後半の熱がある人が食べられないものばかりなのだ…。
白米は少なく、脂の多い肉や料理がいくつも並んでいた。
食事を運びます、と言われ、薄々嫌な予感はしていたのだが、予想的中。
お酒はいる?キャビアは後で運ぶわね、と病人と認識されていないのでは?と思うほどだ…笑
ただ、これを指摘したところで、しっかり食べるべき、食べさせるのが役目と思っている人にとっては暖簾に腕押しで、むしろ激昂する可能性が高いのでとりあえず黙っておく。
まあ、子どもの頃の病人食は焼きそばだった家庭なので無理もない。
私は一人暮らしを始めて、初めて病人食(消化の良いもの)の存在に気づいたくらいだ。
しばらく看病をしてもらってなかったが、ああ…ここは変わらないのだな…と強く感じた。
同時にこの経験が私の一部なのだと。
正直、私のどういったところに関係しているかはわからないが、このユニークな看病体験は私を構成する要素なのだと思っている。
でも…
心もカラダも安心できる病人食が食べたい…