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食事と心

note85日目。
今日のお題は「食事と心」

これは私が人生において、一番くらいに大切に思っていること。そのことについて書いてみたい。


食事と心

食は心を豊かにする。

食事は栄養を摂るためのものではない。
食べるものだけではなく、盛り付け、一緒に食べる人、会話、空間、など様々なものが心に影響する。

私は、食事(の時間)を大切にする家で育った。
黙々と出されたものを食べ、食べ終わったらすぐに席を立つことはNGとする家庭だった。

育った家の食卓がいつも明るく楽しかったという記憶があるわけではないのだが(父がよく話す人だから、しーんとした食卓の記憶はない)、中高時代にいた寄宿舎でも異学年が同じテーブルを囲み、上級生はテーブルが楽しくなるように会話を広げる役割があるような環境で育ったからか、その価値観が強く植え付けられていたように思う。

子どもが生まれて「食育」というものを学び、そこにも孤食はよくない、楽しくバランスよい食事を、と書かれていたから、食事時間を楽しむように努めるのが当たり前、むしろやるべきものだと思っていた。

しかし、実際に親になってみると、毎日の食卓をいつも楽しく会話をしながら囲むというのはなかなか難しいことがわかった。

私はおしゃべりだけど、日々の家事、育児や雑務に追われて、心に余力が残っていない日も多々ある。
子どもたちが勝手にワイワイ話してくれることもあるが、子どもたちにも調子が乗らないこともあるのだろう。
家族全員で食事をしても、夫は黙々と食べる人なので、食卓が、しーん…としてしまうことがある。

そんな時、私はとてもがっかりするし、悲しい気持ちにもなる。
本来、食事は心を豊かにするもので、その空間や時間を大事にするべきなのに、出来ていない自分がいると感じてしまう。

自宅で食事中にスマホをいじることはないのだが、出先だとスマホをチェックしてしまうことがあり、その時も、反省の気持ちが強くなる。

食事(の時間)を重視しすぎな気もしているが、きっとこれは私のこだわりであり、囚われでもあるのだと思う。

だから、子どもが生まれてから食育インストラクターという資格も取ったし、心を育てる食卓というテーマで講座も開催したのだと思う。

私がこの囚われから解放される日が来るのかはわからないが(おそらく解放はされなくて、違う形で昇華するのではないかと自分では思っている)、もう少し気楽にいけたらいいのになあ、と思うことでもある。


76日目から90日目までのお題(予定)

76日目:会社とシャンパン
77日目:着物と雨
78日目:家庭教師とケーキ
79日目:インターネットと雲
80日目:空と靴
81日目:ストレスと氷
82日目:ブラインドと折り紙
83日目:自転車とスムージー
84日目:旅と夢
85日目:食事と心 ←今日ココ
86日目:愛と地
87日目:石鹸と願い
88日目:メガネと歯磨き粉
89日目:星空と海
90日目:アートと子ども


しばゆみのつぶやき(無料)


今日は子どもの矯正歯科の相談の日だった。
昨年受診してから様子見で、フォローアップの受診。

矯正歯科医の治療方針は抜歯をしての矯正開始とのことだった。
顎の大きさや歯の大きさからしても理解はできるだけど、永久歯だけでなくまだ抜けていない乳歯も一気に抜くと言われた。自分のことならまだしも、子どものこととなると、一度に複数本を抜くのをすぐに治療開始を決断できなかった。
人生は決断の連続だけど、人の人生の決断をするのは結構気が重い。
それが子育ての難しさだよなーと改めて感じた。

私にとっては身体科よりも歯科のことの方が決断するのに勇気がいる。

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