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モダニズム建築

モダニズム建築という用語をご存知でしょうか?
まず、「モダニズム」とは20世紀以降に起こった芸術運動です。第一次世界大戦以後の1920年代を中心にした前衛的な動向で、従来の19世紀芸術に対して、伝統的な枠組にとらわれない表現を追求しました。
建築においてもモダニズムの動きが起き、産業革命以降の工業化社会を背景として19世紀末から新しい建築を求めるさまざまな試行錯誤が各国で行われ、機能主義、合理主義の建築として成立しました。
今回は、モダニズム建築がどのように発展を遂げていったのか深掘りしていきます。

アーツ・アンド・クラフツ運動

モダニズム建築の前にまず、「アーツ・アンド・クラフツ運動」に触れていきます。
アーツ・アンド・クラフツ運動とは、イギリスのデザイナーであるウィリアム・モリスが主導したデザイン運動です。
1880年代当時、産業革命が進み大量生産により安価だが、粗悪な商品があふれていました。モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張します。モリス商会を設立し、装飾された書籍やインテリア製品(壁紙や家具、ステンドグラス)などを製作しました。

モダニズム建築の成り立ち

上記のアーツ・アンド・クラフツに影響を受けたドイツ工作連盟の活動と、ドイツの芸術学校バウハウスの開設がモダニズム建築の展開のうえで大きな推進力になります。
ドイツ工作連盟によって産業と芸術の統一が意図され、ペーター・ベーレンスのAEGタービン工場(1910年竣工)が新しい建築のあり方を提示します。ベーレンスの元で学んだヴァルター・グロピウスは、バウハウス(1919年設立)の教育において建築を中心にした総合芸術を目指していきました。

CIAM(近代建築国際会議)の開催

1927年の国際連盟コンペでは入選9案のうちにル・コルビュジエの計画案を含まれていましたが、審査員の中の保守派達は規約違反であるとして排斥し、保守派と近代建築側の対立が表面化します。
これをきっかけに翌年CIAM(近代建築国際会議)が開催され、グロピウス、ル・コルビュジエら24人の建築家が参加しました。
CIAMを中心にした建築家たちの主張と実践により、新しい建築の理念が確立され、モダニズム建築の動向は各国に急速に浸透し、機能的・合理的で装飾のない建築が国境を超えていきます。

近代建築の4大巨匠

技術的には、鉄骨造や鉄筋コンクリート造の普及、大量生産が可能になった板ガラスがモダニズム建築の前提条件となっています。ここでは、モダニズム建築において特に影響を与えた4人の代表作品を紹介します。

  • ヴァルター・グロピウス

デッサウのバウハウス校舎
  • ル・コルビュジェ

サヴォア邸
  • フランク・ロイド・ライト

落水荘
  • ミース・ファン・デル・ローエ

ファンズワース邸

モダニズム建築の評価

これらの1920年代をピークとする建築運動を近代建築運動といいます。しかし、20世紀半ばになると、装飾のない建物が一般的になり、近代建築運動は次第に革新性を失っていきました。(CIAMの崩壊:1956年が一つの指標)
モダニズム建築の評価としては、一般に理解されにくいという見解です。日本においても初期モダニズム建築が次々解体されるも大衆的関心を集めない一方で、非モダニズムの東京駅駅舎が復元され大衆的な支持も受けたことはモダニズムの敗北とも受け止められます。
機能的・合理的に振り切ったモダニズム建築は、人間味が無く、愛着が湧きにくいというのも原因の一つなのかもしれません。


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