私が見たコーカサスの国々/多くの日本人には遠い国の出来事であるナゴルノ-カラバフ紛争
ニュースで流れた、ナゴルノ=カラバフの紛争。アゼルバイジャンによる攻撃でどうなるかと思ったが、何とか停戦したようだ。
コーカサスは日本から、地理的にも心理的にも遠い。多くの日本人にとって、ほとんど関心のない地域だろう。黒海とカスピ海に囲まれたこの地域は、旧ソ連時代、外国人が足を踏み入れることできない謎の場所だったのである。
しかし私にとっては、10代の頃にトルストイの『コーカサスの虜』を読んで以来、ずっと訪れたいと思っていた地域だった。そして一念発起、6年前にやっと訪れたのである。
どのメディアも、そしてBBCも今回の紛争は「ロシアの影響力が低下したから」と言っている。しかし、ジョージア(旧グルジア)人のガイドさんはこう言っていた。「背後にいるのはロシア。調停者のふりをして火種を残し、適度に揉めるようにしている」つまり、東アジアにおけるアメリカのような存在だと言っていたのだ。
アゼルバイジャンとジョージアにおける、ロシアの嫌われぶりはすごかった。アゼルバイジャンの国立博物館では、旧ソ連時代を「占領期」と表示していた。ジョージア人ガイドさんは、娘がうっかり「ロシア文化が好き」と言った時、とても悲しそうな顔をした。ちなみにジョージアはワイン発祥の地である。
しかし、そうは言っても観光客の半分はロシア人。ソ連時代を生きてきた高齢者はロシア語を話すし、公用語はロシア語だ。状況はとても複雑である。
それにしても、大コーカサス山脈の中腹にあるレストランで食べたお昼ごはんは忘れられられない。お客は、ガイドさんと運転手さんと私たちの四人だけ。とても静かだった。そこはロシアとの国境まで16キロで、近くにはドイツ人捕虜の集団墓地があり、見上げれば山頂に、半ば雲に隠れた小さな教会がある。
その教会はいつも霧や雲に隠れているので「恥ずかしがり屋の乙女」と呼ばれていて、ソ連時代、信仰心の厚い人はそこまで祈りを捧げに行ったそうだ。ソ連の役人も、そこまで行って取り締まるほど仕事熱心ではなく、見逃していたとか。
それにしても、コーカサス三国は文化も宗教も違うのに、これで同じようにソ連邦の一員だったなんて信じられない。アゼルバイジャンは、首都バクーをミニ・ドバイのようにして、F1を招致するなど派手にやっているが、旧市街は放置。素敵なところなのに、もったいない。
その前年に行ったバルト三国でも、ロシアはすごく嫌われていた。ウクライナ侵攻後、リトアニアでは徴兵制が復活してしまった。あの、街に花々が咲き乱れる「バルト海の真珠」リトアニアが、そんなことになるなんて。一方ジョージアでは、プーチン政権から逃れてきたロシア人が排斥されているとか。悲しい話だ。
そしてトルコは、絶対にアゼルバイジャンを支持。トルコがトルコである限り、アルメニアとは関係改善できないできないのだろうか。アルメニア人虐殺を認めないので、トルコドラマはディズニープラスからも、ネットフリックスからも締め出されている。ぜひ観たいのだが、仕方ないか。
2年連続行って以来、私は海外旅行には行っていない。この円安では、もう行けないかもしれない。それだけに、バルト三国とコーカサス三国への旅行は一生の思い出になっている。ともにソ連領だった彼の地が、平和であることを望む。