60年前の新幹線秘話:規則を超えた運転士の挑戦


皆さん、こんにちは!
今日は、私が最近聞いたある興味深い放送について、みなさんとシェアしたいと
思います。

東海道新幹線、開業60周年の裏話
今年、東海道新幹線は開業60周年を迎えました。
ある放送で、第1号列車を運転した運転士さんへのインタビューを聞き、
本当に驚きの話だったので、ここで共有したいと思います。
1964年、東京オリンピックの年
その年、日本には二つの大きな使命がありました:
夢の高速鉄道新幹線を
東京オリンピックに間に合わせること
時速200キロ以上で走る高速列車を実現すること

しかし、国からは「時速160キロまで」という厳しい指示が出たのです。

運転士の挑戦:規則を超えて
新幹線の開業に向けて国鉄(現在のJR)は、運転士を募集しました。
インタビューを受けた運転士さん(現在90歳以上)は、元々蒸気機関車で働いていた方でしたが、特攻隊のパイロット出身の方々と共に運転士に志願し、
そして見事、運転士に選ばれました。

そして、彼が行った作戦は、今では考えられない大胆なものでした:
運転士さんは、時速200kmで走ることができる新幹線を
時速160kmで走行させるという国の方針に疑問を抱いていました。

そして、第一号列車運行当日。
運転士さんが運転する大阪発東京行きの新幹線が出発しました。
大阪から京都まではゆっくり(時速110キロ)走行
名古屋への到着時間を厳密に守るため
滋賀県大津付近で一気に時速200キロ以上に加速
国の指示を無視して時速200kmを実現させてしまったのです。

驚くべきことに、この行動に対して何の咎めもなく、むしろ関係者は
拍手喝采だったそうです!

昔と今の違い
この話を聞いて、私は深く考えさせられました。
現代なら、おそらくこのような行動は:
・厳しい批判の対象
・多くの法的リスク
・即座の解雇
などが待っているでしょう。

私の感想
この話は、日本の技術革新と、現場で働く人々の情熱を象徴しているように感じます。規則を守りながらも、イノベーションを追求する。
これこそが、当時の日本の精神だったのかもしれません。
みなさんはどう思いますか?
この話を聞いて、どんな感想を持たれましたか?

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。また次回!👋

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