彦根で「対話」フォーラムが開かれる件
彦根で「対話」をテーマにしたフォーラムを開くプロジェクトが始まりました。2024年の3月に開催予定です。
働く場や暮らす場、教室などでは、自分とそれ以外の人との関わりが生まれます。自分は自分らしくありたいと思う一方で、自分以外の人も当然、自分らしくありたいと思っています。
そういった思いのやり取りが対話なのだと思うのだけど、対話がどうにもうまくいかず、人間関係のギシギシが身の回りの至るところで生まれているようにも思います。
相手の立場になって考えるとか多様な目線で見るとか、ギシギシの解決方法は色々と言われる。しかし思い返しても、対話のうまいやり方とか、手順というものは教わったことがないかも!
と、ここまで考えて、そうか、たとえば、相手のペースに合わせる「ペーシング」とか、「ミラーリング」、「頷きや相槌」は、対話をうまく進めるときのやり方として学んだことがある、と気づいた。これらの手法は、自分のことを伝えるというよりも、相手のことを受け止める方法かな。
自分のことを伝えるときのやり方は、どんなものがあるか・・・。たとえば、何か伝えたい=言いたいと思った時に、合図を出すのはいい方法かもしれません。手を挙げる、「えっと」と言う。「あのー」と言う。トーキングオブジェクト(話したい人は、そのオブジェクト(物)を持って話す)を使う。などが考えられる。
よく考えたら、伝え方や聞き方の手法は、皆さんも知ってたり、やったことがあるのではないか。それなのに、どうして「ギシギシ」するのでしょうか。
日常の生活の伝えたり聞いたりすることは、対話ではなく、日常会話として捉えている。そんな日常会話で、トーキングオブジェクトを使いましょう!、ペーシングをして相手に合わせましょう!なんて、そんな行動はわざわざしていないし、やっている時間的余裕もない、と言うのが普通だ。
そう考えると面倒な「対話」は日常生活にそぐわないだろうか。彦根で、わざわざそんな「対話」のフォーラムを開催する意味はないのだろうか。
私自身は、これまで何度か哲学対話を経験してきた。哲学対話というものは、そんな「対話」をあえて意識して、慌てずにじっくりと対話をするものだ。その哲学対話を通じて、人の話を聞くこと・自分の意見を言うこと、慌てずゆっくりやることの経験をした。一言では言えないが、「対話」を重ねることに人間関係づくりへの可能性を感じたのです。
3月までにたくさんの「対話」の場が、彦根のいろいろなところで、いろいろなテーマで開かれるでしょう。3月のフォーラムを経て、「いちいち面倒な対話なんてやっている時間も意味もなかったよ」と言う言葉で終わるのか。彦根の対話の花が咲くのか。とても楽しみになってきました。