1939年に発表された谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』は、日本の美意識を広く海外にまで伝えている本の一つです。日本人がいかに薄暗がりが好きかということを独特の文体で描いたこの書は、日本の美学に興味を持つ外国人やデザイン、建築を学ぶ学生にとっては必読書となっており、哲学者のミシェル・フーコーや世界的な建築家である安藤忠雄らも大きく影響を受けたとされています。
陰翳とは何か
「陰翳」とは光の当たらない暗がりのことですが、真っ暗な闇を指しているのではなく、光の存在をわずかに感じるぼんやりとした暗がりの状態を意味します。『陰翳礼賛』の中では、その例えとして、障子による薄暗がりが挙げられています。昔ながらの日本建築では、縁側から入った光が障子を通って拡散され、淡い光が生まれます。ガラス戸によって、直接の光をできるだけ多く取り込もうとした西洋建築に対し、障子による淡い光は日本独自の美意識であることを谷崎潤一郎は紹介したのです。
また、西洋人が好む煌びやかな食器や宝石に比べ、日本の漆器や金箔のようなものは、どこか陰りのある存在ですが、それらは、そうした薄暗がりの中での美しさを求めて発展したのだろうと、谷崎潤一郎は考えました。当時、西洋近代化に進む社会の中で、日本の美意識が急速に失われていくことを危惧し、社会に対し疑問を投げかけたのが、この『陰翳礼賛』だったのです。
工芸における陰翳
東洋が西洋に憧れてきたように、今は、西洋が東洋に憧れている。私自身は、日本工芸品のギャラリーを運営しながら、最近では、そのような感覚を受けるようにもなりました。例えば陶磁器では、西洋のお皿は光沢のある白い磁器が一般的で、陶器や炻器は日常で見かけることはほとんどありません。一方で、日本では、茶道の中で雑器を茶碗として見立てた歴史があるように、陶器や炻器も、日本の美意識の一つとして、大切に育まれてきました。今では、海外では、備前焼や信楽焼のような無釉の焼き締めの作品が人気を集めており、ざらつきや濁りというものが、西洋の暮らしの中でも求められる、そんな時代になったのかもしれません。
漆器は暗がりの中で
すでに述べたように、『陰翳礼賛』では、漆器は薄暗がりの中でこそ美しさを帯びるものと書かれています。確かに、趣のある漆器であればあるほど、現代の光溢れる部屋の中では居心地が悪いように見え、静かな暗がりの中にこそ置いてみたいと思わせるものです。暗がりでは、漆器の椀の見た目の美しさはもちろんのこと、漆の手触りや中にある汁の温度も敏感に感じられることで、その空間を全体で味わうことができるでしょう。
日本人が持つ美意識とは、暗がりの視覚的な美しさだけではなく、こうして薄暗がりの中で、五感を目一杯使って、その空間を感じることなのかもしれません。光が当たるものは直感として美しく感じやすいものですが、そうでないところにこそ日本の美があるとした『陰翳礼賛』は、美術や工芸だけでなく、日本人の生き方や暮らし方という点においても、固有の感性を提示したものでした。
試しに電燈を消してみる
『陰翳礼賛』は、最後に「まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ」という言葉で締め括られます。現代では、環境問題を考える中で、キャンドルの灯火だけで一夜を過ごすキャンドルナイトが各地で行われるようになりましたが、日本ならではの美意識を備えたキャンドルナイトを通じて、日本の美意識を世界に向けて発信することも大切なのかもしれません。
文:柴田裕介(HULS GALLERY)
参考図書)
『陰翳礼讃』谷崎潤一郎
谷崎潤一郎の文章とともに、写真家の大川裕弘の美しい写真も楽しめる一冊。
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