見出し画像

侘び寂び

「侘び寂び/Wabi Sabi」は、禅の影響から生まれた、日本の伝統的な美意識の一つです。「もののあはれ」や「いき」など、日本には古くから様々な美意識があるものの、侘び寂びは、現代において、海外にまで広く伝わっている言葉として、特別な存在と言っていいものです。私自身も、日本で暮らしていたときには、ほとんど意識することのない言葉でしたが、海外で暮らす時間が長くなるにつれ、「侘び寂び」という美意識が、自然と自分の中にあることに気づくようになりました。

「侘び」と「寂び」

「侘び寂び」は、近年では一言で用いられることが多いですが、本来、「侘び」と「寂び」は異なる言葉です。「侘び」という言葉は、茶の湯との関係が深く、「侘び茶(わびちゃ)」という表現があるほどで、豪華な茶の湯に対して、質素な茶の湯を追求する世界があります。その当時、高価であった唐物の茶碗などを用いず、雑器扱いの素朴な茶碗を使うことを重んじた茶の湯の一様式です。この侘び茶は村田珠光を創始者として、その後、千利休が大成したとされ、今でもその精神は多くの茶人に受け継がれています。

「寂び」は、漢字からも想像ができるように、閑寂の中に美を見いだすことを意味します。古いもの、寂しいものを否定することなく、受け入れることで、そこにある生を感じようとする意識とも言えるでしょう。日本で暮らしていると、季節の変化の中で、枯れていくものには、その先に芽生える命を感じるものですが、そう自然と感じられることが、寂びの美意識にも通じています。

不完全であること

「侘び寂び/Wabi Sabi」という言葉は、海外の人に伝える際、禅の説明が欠かせません。スティーブ・ジョブズも影響を受けたとされる禅は、仏教の教派の一つですが、茶道はそもそも禅僧が日本で広めたものであり、侘び寂びという美意識も、禅に深く関係しています。

禅の世界では、不均衡であり、不完全なものにこそ、美が宿るとされています。不均整というものは、日本の庭園の大きな特徴ともされているものです。また、「不完全」という言葉は、茶道にも通じ、岡倉天心がその著書『茶の本』の中で、茶道の根本を「不完全なものを敬う心」と英語で記したことから、海外にも「Imperfect(不完全)=茶道の根本=日本の美意識」として伝わっていったともされています。

また、私が、侘び寂びにおいて何よりも大切だと思うのは、この言葉の背景には、日本の自然観があることです。「不完全」という言葉も、自然がどこまでも不完全であることに繋がっているように思います。日本には四季があり、自然の移ろいを感じることができますが、それが「侘び寂び」という美意識に大きく影響を及ぼしていることは間違いないでしょう。また、侘び寂びと聞いて、都会の景色を思い浮かべる人も少ないはずです。山川の近くにある古い古民家のようなものを連想する人がほとんどではないかと思います。海外の人が、この言葉に心惹かれるのは、その根底にある日本の自然観に尊さや憧れを感じるからであり、侘び寂びを伝える際には、日本という土地の個性や自然への向きあい方も合わせて伝えていくことが大切だと思っています。

侘び寂びに触れる

見渡せば
花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮

この歌は、鎌倉初期の歌人である藤原定家の歌であり、侘び寂びの世界を表現している歌の一つとされています。侘び寂びを日常の世界で感じるためには、この歌のように素朴な景色を眺めたり、茶の世界に足を踏み入れるのも一つの方法ですが、私のおすすめは、古伊万里のような工芸品に触れてみることです。

工芸の世界では、薪窯で焼成する抹茶碗や、加飾のない漆器など、今の時代でも、侘び寂びの美を追い求める作り手が多くいます。また、陶芸品であれば、抹茶碗以外にも、古伊万里や古唐津、古九谷という表現があり、これらは昔のやきものが持つ素朴さを現代の感性で追求していくものであり、侘び寂びの美意識に通ずるものがあります。侘び寂びを日常で体感してみたいと思われる方は、まずは近くのうつわ屋などで、そうしたうつわに触れてみてください。「古」とつくやきものはいずれも、滲みや歪みが独特の味わいとなり、その奥深さに何か新しく気づくものがあると思います。

現代における侘び寂び

私自身は、侘び寂びというのは、豪華なものの対岸にある美意識という印象があり、華やかな時代にこそ、浮かび上がる意識ではないかと思っています。利休の時代も、華やかな金銀の世界を追い求める天下人がいたからこそ、その裏返しのように侘び茶が広まったのでしょう。現代でも同じように、より快適で高度な社会を実現しようとする人々がいる一方で、質素で素朴な暮らしに立ち戻ろうとする人々もいます。どちらかに優劣があるということではなく、両者は光と影のような存在なのかもしれません。そうだとすれば、国際社会が成熟すればするほどに、この「侘び寂び/Wabi Sabi」という美意識は求められていくものであろうと思います。海外で、この言葉が広く知られていることは、日本で育った人間としてとても嬉しいことです。それだけに、その言葉にある背景や歴史についての学びを忘れずにいたいものです。

文:柴田裕介(HULS GALLERY)

参考図書)

・茶の本 岡倉天心
茶道を通じて、日本の精神を欧米に紹介するために英語で書かれた本。西洋とは異なる日本の美意識を語る上では欠かすことのできない一冊。

・禅と日本文化 鈴木大拙
原文は英語で書かれた日本の禅思想の入門書と言える本。

・利休にたずねよ 山本兼一 
千利休を題材とした日本の時代小説。利休という人物像を想像するためには、一度は読んでおきたい本。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?