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#109 我に七難八苦を

ビジネスに役立つ、戦国十傑の哲学と西洋思想
大竹 稽さんの記事を紹介します。


山中幸盛(通称:鹿介)。中国地方で毛利氏と争った戦国大名、尼子氏(あまごし)に使えた一武将です。

尼子の殿様は、後世の評価によれば、暗愚。いっぽう、鹿介は子どもの頃から麒麟児として認められるほどの、武芸教養に秀でた武将だったようで、他の拠点がどんどん毛利軍によって攻略されていくなか、鹿介の陣営だけは勝ち続けたといいます。

最終的には、尼子氏の本拠地である月山富田城は兵糧が尽きて降伏しますが、その後も、鹿介は尼子氏再生のために全力を尽くします。しかし、その努力もむなしく、三度目の失敗のときに謀殺されてしまったようです。

もし会うことができたなら、私は鹿介にこんな質問を投げかけるでしょう。「なぜ、有能とは言い難い主君に尽くしたのか?」、「あなたの才能を惜しむ人物は、光秀や秀吉を始めたくさんいたのに…」と。

勝海舟の随筆『氷川清話』に山中鹿介のことが次のように述懐されています。

「いわく、自分の気に入る歴史の武将はまったくいない。強いて挙げれば、山中鹿介と大石良雄である。鹿介は、凡庸な主君のために大望は果たせなかったが、それでも挫けず、倒れるまで戦った」

不撓不屈とは、彼のためにある言葉といっても過言ではないでしょう。

そんな男の最も有名なエピソードが、「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」です。尼子氏再興のため、失敗と再起を繰り返しながら戦う鹿介の眼前には、苦難の道しかなかった。しかし鹿介はさらに一層の苦難を求めて、神に祈りました。主家再興は、彼にとってそれほど高い「志」だったのでしょう。

己の「志」に忠実でいること。「志」は己のためにあるのではなく、また結果が重要なのでもなく、「志」を立てたというその事実がすでに尊いのではないでしょうか。

何度やっても成功しないときなど、「もういい加減にしてくれ!」「もうやめた!」なんて思ってしまうのが、正直な気持ちでしょう。しかし、そんな正直さが実は「自分を裏切っている」ときもある、そのことを鹿介も知っていたのではないでしょうか。だからこそ、「我に七難八苦を与えたまへ」だったのだと思います。

「我に七難八苦を与えたまへ」の原点は大乗仏教の経典『仁王経』にあります。「七難即滅七福即生」、苦難はすなわち幸福である、と説かれています。出来る人物は、それをアドバンテージに変えてしまう力があるということですね。

「勝ちにこだわる」結果が、「どんな手を使ってでも勝つ」に転落してはいけません。こだわりはむしろ、何度でも立ち上がる、不撓不屈、この一点に絞るのです。「勝ち」も「負け」もある意味、天運。私たちが自分でできることは、自分の立てた「志」を裏切らないこと、踏み潰されても決して折れないことなのではないでしょうか。


できることなら、苦難とは遭遇したくない。
ましてや「我に七難八苦を与えたまへ」という心境になどならない。

自分が立てた「志」を裏切らないこと。
苦難がその本気度を試してくる。
「苦難は幸福」納得である。

Mr.Children「終わりなき旅」
難しく考え出すと 結局全てが嫌になって
そっと そっと 逃げ出したくなるけど
高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな
まだ限界だなんて認めちゃいないさ。

壁は高いほどいい、困難は大きいほどいい。
自分の本気度をはかるために、壁や困難が訪れる。「苦難は幸福」。心に留めておきたい。

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