#112 有難い
座右の寓話
「盲亀浮木(もうきふぼく)」を紹介します。
あるとき、お釈迦様が阿難という弟子に尋ねた。
「そなたは人間に生まれたことを、どのように思っているか」
阿難が「たいへん喜んでおります」と答えると、お釈迦様は重ねて尋ねた。
「では、どれくらい喜んでいるか」。
阿難は答えに窮した。
すると、お釈迦様は、次のようなたとえ話をした。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいた。その亀は、百年に一度、海面に顔を出す。広い海原には、一本の丸太が浮いている。その丸太の真ん中には、小さな穴があった。丸太は、風に吹かれるまま、波に揺られるまま、西へ東へ、南へ北へと漂っている。阿難よ、百年に一度だけ浮かび上がる、その目の見えない亀が、浮かび上がった拍子に、その丸太の穴に、ひょいっと頭を入れることがあると思うか」
阿難は驚いて答える。「お釈迦様、そのようなことは、とても考えられません」。
「絶対ないと言い切れるか」。
お釈迦様が念を押した。
「何億年、何兆年の間には、ひょっとしたら頭を入れることがあるかもしれません。しかし、『ない』と言ってもいいくらい難しいことです」そう阿難が答えると、お釈迦様はこう話された。
「阿難よ、私たちが人間に生まれることは、その亀が、丸太の穴に首を入れることより難しいことなのだ。それぐらい有り難いことなのだよ」
「ありがとう」は感謝の言葉。
漢字で書くと「有り難う」。
「有る」ことが「難しい」。
『ありがとう』の反対は何かと生徒に聞くと、
『ごめんなさい』という人が多数を占める。
『ありがとう』の反対語は『当たり前』。
当たり前と思った瞬間に感謝がなくなる。
この世で当たり前のことなんて何一つない。
ありがとうの意味、由来を知っているからこそ、ありがとうの言葉に深みが出る。
盲亀浮木(もうきふぼく)の例え。
「ありがとう」の意味をいまいちど考え、
「ありがとう」を噛み締めたい。