#34 合理と感情
西岡壱誠さんの記事を紹介します。
「理屈の問題」と「感情の問題」を混同しない
「何かをやろうと思っているのにできない」というとき、その理由は「合理」か「感情」のどちらかにあるのです。合理の問題だとわかったら合理の問題として処理すればいいし、感情の問題は感情の問題として解決策を考える。
「合理」の問題は比較的解決しやすいです。勉強時間の見通しが甘かったなら修正すればいいし、目標が高すぎたなら次はもう少し低くすればいい。でも、「感情」の問題って解決しにくいんですよね。「精神的に弛んでるからこんなミスがあるんだな」ってわかっても、「じゃあ気をつけるか」くらいしか対処法がありません。そんな中で東大生が実践していたのが「自訓」を書くというものです。「今、自分はこういうところができていないんじゃないか!」「ここの部分をしっかり解決しないと、合格はない!」といったように、話し言葉で、自分に向けて、自戒の文章を書き、机に貼ったり手帳にはさんだりするのです。
もう1人の自分が、自分を叱っているような感覚を持ち、その人の言葉に従って、感情の問題を解決しようと試みる。少し前時代的で古臭いような印象も受けますが、実はこれが一番効くのだと言います。
「合理」と「感情」の分離。
これは学生だけではなく、全ての人に当てはまる重要なスキルだと思う。
先日、とある事件に対し、西野亮廣さんも「ヒューマンエラーに『気をつけましょう』は改善になっていない」とおっしゃっていました。
すべきことをしなかったことによって、意図しない結果が起こってしまった。再発防止に対し「気をつけます」では誰が見てもまた同じことやると思うのは当然であろう。
しかし、我々の日常生活に落とし込んでみると、「気をつけます」とどれだけ言ってしまっていることか。「合理」と「感情」の分離を意識したいものです。
感情の問題は感情で解決する。
その方法が「自訓」を書くとは驚きである。
これは思うではなく、書くことに意味がある。
感情は流れるが、書いたものは留めておくことができる。「あの悔しさ」を一瞬で思い出すことができる。感情をコントロールする仕組みを自分で作る。
「合理」と「感情」を分けることで、本当の意味で問題を解決することができる。
参考にしたい思考法である。