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閉鎖病棟と自殺念慮
2023年9月、今まで感じたことのないような強い自殺念慮に支配されていた。わたしは統合失調症と双極性障害を患っている。抑うつや思考が漏れる感覚もあり、食事もろくに喉を通らず、何より死にたい気持ちが強く出たためかかりつけの病院に受診し、入院したい旨を伝えると、その日の内に入院になった。
わたしがいた病棟は一番状態の悪い患者が集まる病棟で、怒鳴り声が頻繁に飛び交い、認知症を患った患者も多くいて全体的に混沌としていた。暴力や窃盗などもあり、決して安全な場所ではなかった。常に身の危険を感じながら糞尿の臭い漂う病棟での生活を余儀なくされた。
症状としては抑うつ、幻聴、自我障害、不眠などがあった。特に不眠は本当に悪く、ほとんど徹夜に近い状態が長く続いた。薬の調整もあり、便秘、アカシジアなどに苦しめられた。中でもアカシジアは、不眠をさらに悪化させて一晩中わたしを苦しめた。
入院してからしばらくは強い自殺念慮があった。酷い時はスマホを見ることが出来なかった。ほとんど一日中、時計の針を凝視して過ごした。時間が経つのがとても怖かった。あの頃のわたしは正気じゃなかった。複数の作業療法士に「〇〇さん死ぬんじゃないかと思っていた」と言われた。一体どんな表情をし、どんな雰囲気を出せばそう思われるのだろう。
比較的調子の良い時は、Xで同じように死にたい気持ちを抱えている人の呟きをよく見ていた。同じような境遇の人がいると安心出来た。他にも過去の飛び降りの記事や自殺方法などをまるで狂ったかのように見た。常に死ぬことばかりを考えていた。朝から晩まで。「死にたい」というよりは「死ななければ」といった感じだった。死ねないことがわたしにとって悲劇だった。
本気で死ぬことを考えて実行に移そうを思っていた。それも、入院中の外泊を利用して。わたしは病院から公共交通機関を使って行ける範囲で飛び降り出来る場所を探した。飛び降り自殺というものは、意外と身近な場所で起こっている事実に気が付いた。わたしは飛び降りの記事を見て、その場所をGoogleストリートビューで色々な角度から確認した。どうしても一回で終わりにしたかったから。そうして死に場所の候補を2つに絞った。
11月になり、比較的調子が改善してきたから外泊の機会が出来た。わたしは入念に飛び降りの場所を探したし、気持ち的に行けると思ったから外泊の申請をした。申請はすんなり通った。今更生きるつもりは毛頭なかった。
外泊の日がきた。「今日が最後」だと心に決めた。わたしはバスに乗り、過去に飛び降りがあった立体駐車場のビルに向かった。「これが成功すると大変な騒ぎになる」と思ったが、もう引き返す訳にはいかなかった。引き返せばまた地獄のような生活が待っている。エレベーターに乗った。
“その階”に着いてフェンスを見ると、驚愕した。よじ登れない細工がなされている。一瞬「なぜ?」と思った。過去にここで飛び降りをした人はいる。その後フェンスが作り替えられたのか、それとも脚立のような物を用意して実行したのか。何はともあれ、ここでは飛ぶことは出来ない。わたしは恐る恐る下を見た。恐ろしいまでの高度感に身体が震えるのと同時に、「こんな場所から飛び降りたら大変な騒ぎになる」と思った。わたし自身、ネット記事を見てここに辿り着いているのだから。
自殺は簡単じゃない。自分は自殺なんか出来ないんじゃないか、という思いが込み上がってきた。
わたしは監視カメラから逃げるようにその場を去るしかなかった。こんな場所をうろうろしていて警備員の目に止まったらいけない。ただでさえ入院中の身なのだ。こんなことをしているのがバレたら間違いなく保護室行きだ。わたしは“次の候補地”に向かった。
その場所はそこから徒歩20分くらいの場所にあった。途轍もない敗北感を感じながら歩いた。11月にしてはかなり暖かい日だった。歩道をすれ違う人々。まさかついさっきわたしが飛び降りようとしていたなんて誰一人として思ってもみないだろう。歩道にはたくさんの人がいた。みんな明日に向かって生きているというのに、わたしだけが死にたいと思っている。そう考えたらこんなことをしている自分がとても惨めで仕方がなかった。この時に感じたやりきれなさは恐らく、一生忘れることはないだろう。それでも歩いた。なんとしてでも今日の内に終わらせたかったから。
わたしは次の候補地に着くとまず、着地点を確認した。植え込みなどがあると生存率が上がってしまうから。今度こそは終わりにしたかった。これが駄目だとまた地獄のような闘病生活に戻らなければならない。それだけは避けたいと思いながら再びエレベーターのボタンを押す。
現場に着いてフェンスを目の前にすると、またしても驚愕した。そして落胆した。フェンスの上にテグスが張られている。この場所でも過去に飛び降りがあったのだが、きっとその後に自殺防止のために張られたのだろう。いずれにしてもここで死ぬことは出来ない。そこは立体駐車場だが、駐車してある車の台数も多く、フェンスの前でうろうろしているのは目立ってしょうがない。その場を立ち去る以外になかった。
その後自宅に戻ってきたが、死のうとして精神が異常な状態になっていたこと、久々に歩き回ったことも相まってか酷く疲れた。立体駐車場で感じた「自殺なんか出来ないんじゃないか」という感覚。歩道を歩いていた時に感じたなんとも言えないやり切れなさ。死のうと思っている人間というのは、往々にして孤独である。完遂した人々は一体どんな思いでやり遂げたのだろうか。
病院に戻ってきて、時間が経過した。以前のような幻聴や抑うつ、不眠といった症状は一定の改善が見られた。だが根本的にわたしがわたしとして生きている限り生じてしまう生きづらさみたいなものや、自宅の環境の悪さは何も変わっていなかった。
死にたい旨を看護師に相談した際に、「生きる希望を大事に生きていきましょう」と言われたことがある。だがわたしは思う。どんなにおいしい物を食べても虫歯が一本あったらすべて台無しになってしまうように、幸福と不幸というのは“その質”が全然違うと思う。言ってみれば、どんなに良いことがあっても、根本にある苦痛を取り除かない限り、それは生きる理由にはなり得ない。不幸に幸福をプラスしても、苦痛は帳消しにすることは出来ない。わたしは住んでいる環境でも深刻な問題を抱えていたし、過敏で色々なことを感じ取り過ぎる性格だったから、生きる希望があればなんとかなる、という問題でもないのだ。生きていればいいこともあるけど、同時に偽りだと目を疑うような悲しみにだって出会ってしまうことだろう。
当然だが、自殺はしないに越したことはない。でもただ生きていれば良いのかというと、そんなことも決してない。生きているだけじゃ駄目なんだ。わたしは閉鎖病棟を終の住処にしている人を少なからず見てきた。監視カメラ付きの保護室からほとんど出られない人もいた。世の中にはひなたを歩けない宿命を持った人たちがいる。彼らはスマホすら持てず、ただ病気と闘い劣悪な環境下で生きることを余儀なくされている。どこにも逃げ場はない。わたしの目から見ても、その調子の悪さが見て取れた。
ある日、こんなことがあった。ホールにあるテレビに椅子を投げ付け、保護室に連れていかれた患者がいた。その際、「もう殺してくれ」そう大きな声で叫んでいた。わたしはこれを見た時、ここは本当に地獄のような場所だと思った。多くの患者にとって唯一の娯楽であるテレビを破壊するという行為は、完全に精神の限界を越えていたのだろうと思う。わたしは思う。人間はきっと死にたい時が一番怖いのではない。“死にたくても死ねない時が一番怖い”のだ。
その時の入院期間は半年だったが、閉鎖病棟で生活していて思うことがあった。この世界にはどんなに頑張っても不幸と絶望で人生を終える人が少なからずいる。恐らくわたしはその中の一人に入ってしまったのだ。どうしてわたしは虐待され、虐められ、病気に苦しめられ、挙げ句の果てに自殺に追い込まれなければならなかったのだろう。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉があるが、これが試練だとしたらあまりに酷な話しだと思う。幸せな人間と、不幸な人間の格差があまりにも激し過ぎるのだ。
不運は必ず誰かの下に降りかかる。その通り道にたまたまわたしがいたんだ。
わたしの抱えた問題は現在でも何一つ解決していない。でも出来る限りのことはやったつもりだ。そして思う。果たして“生きて苦しむことは本当に正しいことなのだろうか”と。我慢しながら生きていく意味とはなんだろうか。自殺に追い込まれるような経験は果たしてわたしの人生に必要だったのだろうか。人生はとても残酷だと思う。終わりの見えない苦しみは続く。