#5 コンビニのレジで、焦らない自分になりたい
最寄りのセブンイレブンのレジが、少し変わった。
前までは「スイカでお願いします」と言って、店員に決済方法を選択してもらっていたが、いつの間にかそれを自分でタッチパネルで選択するシステムになっていた。
一方で、レジ袋有料化により、コンビニでもエコバックを持参して自分で商品を詰める作業をすることがスタンダードになった。
この2つが合わさったことによって、私はセブンイレブンのレジに対し緊張感を覚えるようになってしまった。
そもそも小心者の私は、後ろの人を待たせて苛立たせないようにと、スイカが選べる場所では必ずスイカで決済するようにしていた。
そして、最大限スムーズに決済できるよう、事前にスイカを出して手に持っているようにしていた。
なので、今までは「店員待ち」か「レシートが出てくるの待ち」の時間しか存在しなかった。たとえ後ろの人を待たせたとしても、自分に非は一切なかった。
ところが今は、自分が、持参した袋に品物を詰める作業をしなければならない。
店員がピッ、ピッと始めるのと同時に、同じテンポで袋詰めをしていったとしても、最後に必ず「自分待ち」の時間ができてしまう。
店員が最後の商品をピッとして合計ボタンを押したその瞬間から、「残っている商品を全部袋に入れて、スイカの決済ボタンを選択して、スイカを取り出して、決済する」までの時間。
この間は必ず、「自分待ち」の時間になる。
非常に焦る。焦りもあって、少しモタついてしまう。そうすると、「何やってんだよ」と思われているような気がしてしまう。
別に、後ろの人は怒ってもいなければ、イラついてもいない場合が大半だと思うし、店員も特に何とも思っていないのだと思う。
自分も、必要以上に時間を費やしているわけでもないのだから、自分のペースで荷詰めをして決済をすればよいし、多少モタつくぐらいは許容範囲だと思う。
理屈の上では、自分が焦る必要は全くない。
なのに、なぜこんなにも自分は焦ってしまうのか。
おそらく、こんなところでも自分は、優等生であろうとしすぎているのだと思う。
「最大限効率のいい動きを取り、周りに少しの迷惑もかからないよう努めなければならない」
そう考えている自分がいる。
これは自分の人目を気にしすぎる性格のせいなのだろうか。(そもそもこんなこと思っている人間は自分以外にあまりいないのだろうか?)
たまに、ゆっくり荷詰めをしたり、現金払いでかつ端数の小銭を探している人を見かけると、早くしろよと思う反面、うらやましく感じてしまう。
どうしてそんなに自分のペースでいられるのかと。どうしたら人目よりも、自分のペースを大事にして生きていけるんだろうと。
そのために必要なのは、もしかしたら、他人のペースを認めることなのかもしれない。
他人に「早くしろよ」と思っているから、自分に一切のミスも許せないのだ。そして、「自分はこんなにやってるんだから、他人も最大限やるべきだ」と押し付ける。その気持ちが「早くしろよ」になる。
この不毛なエンドレスループが、焦りの要因なんじゃないだろうか?
こうして言葉にして認識して初めて、なんだかバカバカしいことをしていたことに気づいた。
誰のためにこんなに厳しいルールを強いていたのか?自分を縛り付けているのは人の目じゃなくて、自分じゃないか。
他人の自由を認めて、自分も自由になりたい。