#6 幸せとは
幸せとは何か?
幸せとは、自分のすべてを愛することだと思う。
罪悪感に苛まれているとき、人は幸せになれない。
「こんなんじゃダメだ」と自分を責めているとき、人は幸せになれない。
でも、「およそ理想とはほど遠いけど、これが今の自分なんだからしょうがない。この自分でやっていこう」と自分の現状を認めて、自分自身の性質を全肯定して前を向けたら、それはもう既に幸せなんじゃないだろうか。
どうしたら自分を愛せるか。
それがなかなか難しいから、人は他人を必要とするのではないか。自分を愛してくれる他人がいることで、自分が全肯定される感覚を体感できる。
逆に、他人から愛されていない自分を自分だけが愛するということは難しい。
でも、難しいけれど、できないことではないはずだ。
私は一人で幸せになれる方法を見つけたい。
だからその方法を模索して自分でやってみようと思う。
自分を責めたり、自分をダメな人間だと感じることは、相当きつい。
なのに私は無意識に毎日それを秒単位でしている。
何かを辛いと感じるとき、自分の中に「ダメな自分」と「それを責めている自分」が必ずいる。
多くの本は、この「ダメな自分」の方を直して社会に適合させようとする方法を説くけど、私は「それを責めている自分」の方を改善する方法で幸せになりたい。
例えば、私は部屋が片づけられない。常に物が散乱した状態で生活している。
仕事から帰ってきたとき、朝目が覚めたとき、散らかった部屋を見て心が萎える。
そして、「昨日も結局片づけなかった」「どうして片づけられないんだろう」と無意識に考え、自分を責めてしまう。
その感覚を麻痺させるために、テレビやインターネットに没頭したりお酒を飲んでごまかして、日々はあっという間に過ぎていく。
(そう考えてみると、私は今まで毎日「仕事に行くこと」と「自分を責めること」しかしてこなかったんじゃないだろうか・・)
私は片づけられる自分にならなければいけない、という方向でずっと自分を矯正しようとしてきた。
でも、いくら片づけの方法を学んでも、私は片づけられる人間にはなれなかった。一時的に片づいても、また物はすぐ増えてすぐ散らかす。
だからもうそんなつらいループはやめて、片づけられない自分がどうやって快適に過ごせる空間を作れるか、という方向でちゃんとアプローチしようと思う。
自分のダメな性質の何をも直さないで、自分だけの幸せを見つけていきたい。
それは世間一般的に言われている幸せとは違うかもしれないけど、私の目的は、幸せそうだねと他人に羨ましがられることじゃなくて、自分が本当に幸せになることなのだ。
自分の全てを愛したい。
そのために、これから自分と真剣に向き合っていこうと思う。